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関東森林管理局

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    中津川林道

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    1.中津川林道の概要

    名称:中津川林道(なかつがわりんどう)
    運用者:猪苗代営林署
    延長:約7,400m(左岸側約5,000m、右岸側約2,400m)
    森林鉄道としての存続期間:昭和23~36年度頃
    所在市町村:吾妻村(現在の猪苗代町)、檜原村(現在の北塩原村)


    2.中津川林道の歴史

    当時、猪苗代営林署職員だった菅政利さんの回想を元にした中津川林道の歴史は、以下のとおりです。
    なお、本頁に掲載した当時の写真は、菅政利さんより提供いただきました。
    猪苗代林道(軌道)沿線の小野川官行斫伐事業所(大正15年~昭和24年)及び曽原事業所(昭和5年~昭和24年12月)の事業終了から移行する形で、昭和23年、議場に中津川製品事業所を設置。これまで5~6軒の集落であった議場は、大集落となり、小中学校の分校も設けられました。
    最初の中津川林道は、昭和23年、中津川の右岸に約2.4kmの軌道が開設されます。当時のトロッコの引き上げは、牛や人力によるものでした。製品(木材)生産及び製炭、薪の生産が行われ、右岸側の起点には、貯木場及び貯炭庫が整備されました。右岸側の伐採は2年ほどで終了し、右岸側は軌条が撤去されます。右岸側・左岸側の軌道が併存していた時期を経て、左岸側に軌道が順次延伸されました。下流側は傾斜が比較的緩く、馬や人力によりトロッコが引き上げられることもありましたが、上流側には急勾配の箇所もあり、昭和28年に岩手富士産業製と思われる1.5トンの小型のガソリン機関車が導入されました。ガソリン機関車は、上部が白、下部が緑のツートンカラーでした。
    中津川渓谷沿いの左岸の急斜面の山腹に開設され、上流側の銚子の口と呼ばれる地点の付近では、本頁の冒頭の写真にあるとおり、斜面の岩をコの字型にくり抜き、またトンネルを設けるなど、かなりの難工事であったようです。右岸・左岸の軌道の起点から下流側は、トラックにより運材が行われました。左岸側の起点の土場には、大径材をトラックに積載する際、木材を宙吊りにするための架線が張られていました。終点に小規模な土場が設けられ、土場から東西方向に中津川を跨ぐ架線も張られていました。
    機関車を切り返す箇所がなく、機関車には前部と後部に運転席があり、トロッコを引き上げ、トロッコを線路から下ろし、下り側の席に移動し下山していました。昭和30年5月にはガソリン機関車の転落事故が発生します。終点の土場から下山中、銚子の口付近の急勾配箇所(頁冒頭の写真の箇所よりやや上流側)でスピードが出すぎて機関車が断崖絶壁下の中津川に転落、機関車の運転席は、左右どこにいてもすぐに飛び降りることができる構造になっており、運転者はとっさに飛び降り事なきを得ましたが、転落した機関車は廃車となりました。廃車後は、台車に発動機を付けたような簡易な機関車が運用されました。機関車転落から1~2年程度で沿線の伐採は終了し、伐採事業は議場の北東側の山域に移動したことに伴い、中津川林道の森林鉄道の運用も終了します。そして、軌条は昭和36年頃に撤去されます。
    左岸側の軌道は、運用されている時点及び軌条が撤去された後も、吾妻山(東大巓)へ至る登山道として利用されていましたが、現在は、崩落箇所が多数あり、極めて危険な状態であり、立ち入ることができません。


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    中津川製品事業所(昭和23年)


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    議場の小学校



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    議場の中学校


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    左岸側の軌道跡

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    左岸側の軌道跡の擁壁の暗渠





    中津川林道位置図

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    図1:中津川林道位置図(昭和24年度頃の小野川担当区事業図)




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    中津川林道位置図(右岸側・左岸側の路線)


    お問合せ先

    福島森林管理署

    担当者:福島森林管理署
    ダイヤルイン:024-535-0121
    FAX番号:024-535-6514