日下部内記と奥島山国有林
長命寺
滋賀県近江八幡市の琵琶湖岸に奥島山国有林があります。琵琶湖国定公園の一部であり、入り江の静かな湖面と背景の山々とがよく調和し、優れた景観を示しています。一角に、西国第三十一番札所「長命寺」があって、国有林はその背景林ともなっています。
「近江山河抄」で、奥島山は次のように紹介されています。
「近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、私は長命寺のあたりと答えるであろう。・・・近江八幡のはずれに日牟礼(ひむれ)八幡宮が建っている。その山の麓を東に廻って行くと、やがて葦が一面に生えた入江が現われる。歌枕で有名な「津田の細江」で、その向うに長命寺につらなる山並みが見渡され、葦の間に白鷺が群れている景色は、桃山時代の障壁画を見るように美しい。最近は干拓がすすんで、当時の趣はいく分失われたが、それでも水郷の気分は残っており、近江だけでなく、日本の中でもこんなにきめの細かい景色は珍しいと思う」
景観の維持に配慮し、森林管理署では国有林の一部で上木ヒノキ・下木ヒノキの複層林造成に取り組んでいます。
伊勢物語にも登場する惟喬(これたか)親王がこの地に来られたとき、あるいは天武天皇、また聖徳太子という説もあるようですが、特産の「ムベ」を奉ったとの伝説が「近江輿地志略」に紹介されています。また、天正六年、織田信長がこの山で鷹狩をした記録が「織田軍記」にあります。
江戸時代は彦根藩の管理にかかる藩有林でしたが、県内の他の多くの森林と同様、当時はどうもハゲ山だったようです。この奥島山において天明年間(1781~1788)に、彦根藩の普請奉行だった日下部内記が主導し、緑化を行った記録があります。
内記は、まず古ムシロを多数買い入れました。そしてこのムシロでハゲ地を覆い、風で飛ばされないよう竹串で押さえました。ムシロに付着していた穀物を啄ばむために多くの小鳥が飛来して脱糞し、その糞中から草木の種子が芽吹きました。腐ったムシロは肥料になりました。草地になったのを確認のうえマツ苗を植えたそうです。
ハゲ山が緑化された結果、森林経営による大きな利益が得られたのみならず、琵琶湖からの漁獲が豊富になって漁民の福利が頗る増進したと、その記録は内記の功績を称えています。
緑化をすれば漁獲が増すあるいは海産物の品質が向上するということは、この奥島山の例でもわかるように古く江戸時代から経験的に理解されていました。最近では北海道襟裳岬の例が有名です。森林が土砂の流出を防いで水質を浄化することや、東北地方では魚つき林を「魚蔭林」とか「魚隠林」などとかつて呼んだことがあるそうですが、その例からも分かるように光線の反射を和らげることなどの効能によるものと考えられます。
湖からみた奥島山国有林
最近、沿岸漁業と上流の水源森林との関係があらためて注目されており、漁業者の手によって河川上流に「漁民の森」を造成する動きが各地で起こっています。
(参考資料)
- 白州正子著 「近江山河抄」(昭和49年2月20日駸々堂出版)
- 寒川辰清原著 「新註近江輿地志略全」(昭和51年9月28日弘文堂書店)
- 遠藤安太郎著 「日本山林史保護林篇」(昭和9年5月15日日本山林史刊行会)
- 相神達夫著 「森から来た魚-襟裳岬に緑が戻った」(1993年4月29日北海道新聞社)
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滋賀森林管理署
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