北海道国有林の大自然、森林づくりの現場などから届いた”HOTな写真”を掲載していくギャラリーです
森林(もり)の撮っておき!(2022年1月)
丸太に刻まれた数字 2022年1月14日(金曜日)撮影
国有林では、間伐などで伐採した木を丸太に切り分けて運び出し、木材として活用できるようにしています。
その丸太が下の写真なのですが、これは何という種類の木の丸太か分かりますか?
丸太の断面
丸太を斜めから
断面の色が淡いので、よく「白っぽい」などと表現されることが多い木です。
北海道では良くなじみがあります。
しかし、業界の方や専門家以外で正解が分かったら凄いなと思います。
これは「トドマツ」の丸太です。
さて、このトドマツの丸太、こんな綺麗な断面を見られるのはこちら側だけ。反対側から見ると全く様子が異なります。
では、反対側の写真をお見せしましょう。
丸太の数字
反対側には数字がびっしりと書かれています。数字が多すぎて怖いくらいですね。
一体、この数字は何を表しているのでしょうか。
数字を拡大
たとえば上の丸太の断面には、「16」という数字が書かれています。
番号でしょうか、それとも何かの大きさでしょうか?
ヒントを言うと、この数字はある「大きさ」を表しています。
そして単位は「センチメートル」です。
…お気づきでしょうか?そう、これは丸太の断面の大きさを表しているんです。
丸太の断面の直径を測り、その直径を断面に記載しています。
数字は2センチメートル刻み
ちなみに、数字をよく見ると「16」や「14」、あるいは「18」という風に、2数字は2センチメートル刻みの数字しか書かれていません。
これは、2センチメートル刻みで測るように『日本農林規格』というもので決められているためです。
14センチメートル以下では1センチメートル刻み、14センチメートル以上は2センチメートル刻みで測定されます。
もし15センチメートルという大きさの丸太があれば、14センチメートルに切り捨てて計測されます。
丸太は様々な形、大きさのものがありますが、大きさの測り方を統一する事で木材として使いやすいようにしているんです。
こうして数字を割り振られた丸太は、断面の大きさと、さらには丸太の長さ、木の種類に基づいて分類されて積み上げられ、運び出されるのを待ちます。
積み上げられた丸太(1月19日撮影)
森林で切り出された木はこうやって仕分けられています。
細かく分類する事で、利用したい用途に最適な丸太を届ける事が出来るんです。
丸太に刻まれる数字は、丸太が木材として使われていくための大事な大事な数字ということなのです。
(十勝西部森林管理署 芽室森林事務所 森林官 久保)
「大寒」の日の幌加内町 2022年1月20日(木曜日)撮影
1月20日(木曜日)は二十四節気のひとつ「大寒」でしたが、暦通り、道内各地で強烈な冷え込みとなりました。
中でも、幌加内町朱鞠内ではマイナス27.7度と全国で一番気温が下がりました。
この日のニュースでは、まつげと前髪を凍り付かせながらも元気に通勤・通学する幌加内町民のインパクトある姿が流れました。
この日は雲ゼロの快晴になりました。
北空知支署庁舎と除雪で堆積された雪山です。
今年は例年に比べ雪が少ない(1月20日時点での積雪深:139センチメートル)ですが、それでもすでに庁舎の高さを超えるほどの雪が積まれています。
後方の山の左側の雪面は、パウダースノーを求め各地からスキーヤー・スノーボーダーが訪れる「ほろたちスキー場」。
三頭山(標高1,009メートル)もよく見えました。
聞けばバックカントリーで登る猛者もいるとのこと。
この日は江丹別峠へ。江丹別峠頂上は幌加内町と旭川市の境界となっています。
幌加内町側から峠を登る道。奥右側に見えるのは駐車場です。(小屋は使用不可。)
バックカントリーで有名な場所でもあります。
この日も2台ほど車がありました。
峠から旭川市側に入ってすぐのところ。
ここは天気が良いと、右側の開けた場所から遠くの大雪山系を望むことができます。
端から端まで見渡せる絶好のポイントです。
普段は雲がかかっており見えないことが多いですが、この日はとてもラッキーでした。
空気がしばれて澄んでいたので、山のラインまでくっきりと分かります。
浮かび上がるような姿が印象的です。
左側奥の一体のきれいな三角形が旭岳です。
もう少しズームしてみると、きれいに見えます。
(クリックすると大きくなります)
冷え込みの強烈な日こそ、幌加内町へ来てみませんか。
(北空知支署 森林整備官 谷本)
北海道の奥の院探検(2022年1月25日掲載)
(この記事は2021年6月15日版を再度掲載したものです。)
ー明治44年に北海道大分水点に到達・発見ー
北海道森林管理局が令和元年10月に関係1市2町との協議により、石碑を設置した北海道大分水点。
別図 出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)
クリックすると大きくなります。
私も平成30年の初登頂以来、3年間で4回、大分水点経由で三国山山頂まで登っています。標高1,530メートル、登山口から約1時間半ちょっとの行程ですが、数日間は筋肉痛となります。
ところがなんと、遡ること110年前、明治44年(1911)にこの地に到達された方がおりました。
その名は「太田龍太郎」氏、当時の上川郡愛別町村長を務められていた方です。
次のお話は、太田龍太郎氏の直孫である笹川良江様(東川町在住)が平成16年(2004)に出版した「大雪山国立公園」生みの親「太田龍太郎の生涯 復刊「霊山碧水」」からの抜粋になり、令和元年(2019)、笹川良江様から北海道森林管理局保全課にご連絡をいただいたところ、太田龍太郎氏が苦難・苦行のすえ、北海道大分水点に到達・発見した第一人者であることがわかり、私、目黒の知るところとなったものです。
その後、八方手を尽くして探しましたが新刊が手に入らず、古書店からの購入となりましたが、大変興味深い読み応えのある一冊でした。
太田龍太郎の生涯(笹川良江編)
太田龍太郎の生涯
笹川良江/北海道出版企画センター
太田氏は文久3年(1863)熊本藩士の子として生まれ、4歳の時に父親が暗殺され、翌年に仇討ちを果たし、13歳の時、後の北海道庁長官、男爵安場保和に引き取られました。
幼なじみに安場保和の書生を務めていた、後の台湾総督府民政長官、伯爵後藤新平がおります。
明治30年、北海道庁長官に任ぜられた安場保和に請われて来道し北海道庁勤務となり、様々な要職を歴任後、同43年、愛別村長として着任、9月に石狩川上流を探検、その風景の素晴らしさを「霊山碧水天下無双」と賞賛しており、この5日間の紀行は当時、北海タイムスに5回にわたり「霊山碧水」というタイトルで掲載され、世間に初めて現在の層雲峡が紹介されました。
11月には旭川遠軽間の鉄道計画立案のため、雪の北見峠を越え遠軽、上湧別、置戸、野付牛(現在の北見市)、陸別等を歴訪しており、昭和7年の鉄道石北線が遠軽まで開通した際には沿線市町村長から感謝状を受けたとのことです。
以上の通り、大変にパワフルに活動された方で、翌、明治44年7月には鉄道院愛別測量隊の線路踏査実測に同行、10月には、鉄道院技師らによる旭川帯広間踏査実測隊に同行し、13日間にわたり、石狩川を遡り「ユニイシカリ」から4,800尺の石狩十勝国境を経由して音更川沿いに上士幌を経て帯広に到着(130哩とありますので約210キロメートル)しています。
この国境経由での踏査の模様は、当時北海タイムスに36回にわたり「北海道の奥の院探検」というタイトルで掲載されました。
探検に当たっては陸軍参謀本部陸地測量部作成の地図(注)を頼りに歩いたとのことですが、併せて恩師安場保和翁の写真、吉田松陰先生の幽囚録、山陽詩集を持参し「是れさえあれば4、5日絶食しても水で沢山だ」とのことで昔の方は気合いが違います。
((注)戦前の全国規模の陸地部における測量は陸軍参謀本部が一括して実施していた。戦後は内務省地理調査所、建設院地理調査所、建設省地理調査所と変遷ののち、昭和35年に国土地理院と改称され今に至る。)
出発後は、早朝から夜半まで草鞋に脚絆、鳥打帽や鉢巻姿で杖を手にして荷を背負い、雨に降られ、川を渡り、崖を登り、テントは持たず全行程を露天で野宿(時には、木杭に青木の葉や枝で屋根、壁を囲った「宿舎」も作ったようですが)し、ずぶ濡れの着衣をたき火で乾かすという、まさに探検という名がふさわしいと思える素晴らしい紀行文です。
地名が現在と異なること、独自の命名による地名を使っていることと、昔の格調高い文章が私には読み切れず、具体の野営場所を全て特定することは困難でしたが、おおよその行程は別図の通りです。
別図 出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)
クリックすると大きくなります。
本文中に「自ら更に鼓舞激励四肢を叱咤強行所謂死物狂いとは斯かる場合を云うならんと思いつつ幾多の崎嶇間関を攀ぢ越へ攀ぢ越へ海抜4,800尺(約1,580メートル)の最高峰の頂巓に登り付いた」とあり、この4,800尺の石狩十勝国境については、別の箇所に「馬の背の如き4,800尺の分水嶺則ち石狩川の水源と十勝川の上流音更川の水源との両分水嶺」という記載があり、約1,580メートルという標高から、北海道大分水点を経由したと考えるのがロマンというものでしょう。
さて、この太田氏、行程の途中でたびたび立木の樹皮を削り、風景や行程の感想を記しています。達筆な名文を見てみたい気がしますがもう残ってはいないでしょうね。
なお、太田氏は自らの数々の探検・調査結果を受け、石狩川上流一帯は国により厳重に保護すべしということで「石狩川上流霊域保護国立公園経営の件」を、明治44年、当時逓信大臣であった幼なじみの後藤新平に提出しており、24年後の昭和9年、大雪山国立公園として指定されています。
太田氏は、その後も道内各地で数々の要職を勤められ、昭和10年に東京でお亡くなりになられています(享年72歳)が、なんとその2年前、昭和8年に安足間川経由で比布岳、北鎮岳、黒岳を経て層雲峡に至る登山を行っています。
「北海道の奥の院探検」の道中写真を始め、明治時代の層雲峡近辺の大函、小函、銀河流星の滝、石狩北見の国境の木柱などの貴重で鮮明な写真も数多く掲載されていますが、今回は残念ながら内容の全てをご披露することは出来ません。
北海道大分水点、三国山を訪れた際には、ぜひこの太田龍太郎氏の110年前の偉業を思い出してみて下さい。
それではまた。
(調査官 目黒)
カメレオンもびっくり!円山の変化 2022年1月17日(月曜日)撮影
札幌市に鎮座する円山(標高225メートル)。
円山原始林として国の天然記念物にも指定されています。
その円山ですが、季節毎に様々な色に変化し、その姿はカメレオンを彷彿させます。
宿舎から職場までの通勤途中、意識して、決まった場所、決まった角度から写真を撮り続け、その色の変化を記録してきました。
赤
黄
緑
白
赤は、カツラの芽吹きの色。
葉っぱよりも先に赤い花を咲かせ、カツラの巨木が林立する円山は、山全体が赤く染まります。まさに、春紅葉(はるもみじ)という言葉がぴったりですね。
黄は、イタヤカエデやカツラの若葉の色。
新芽から瑞々しい若葉が開き、緑色に変化するまでのわずかな期間、全山が黄金色に輝きます。
緑は、新緑の色。
短い夏の間、日の光を葉っぱ全体で浴びている姿は、生命力が溢れていますね。
白は、雪の花の色。
夜中にしんしんと降り続いた雪が木の枝に付着し、日が昇ると、真っ白な山が現れます。
とまあ、色の変化を楽しみながら、通勤していたのですが、色を意識して撮った円山の写真はこの4枚のみ。
それぞれの撮影日は、赤:令和3年4月15日、黄:令和3年5月6日、緑:令和3年5月22日、白:令和4年1月17日。
日付を見たら分かると思いますが、実は、緑から白まで、半年以上の間が空いています。
当然、夏から秋、秋から冬にかけての色の変化もあったはずなのですが、惜しいことをしました。
今年は、12ヶ月分の色の変化の撮影にチャレンジしたいですね。
(計画保全部 計画課 佐野)
冬の円山に登ってきました 2022年1月10日(月曜日)撮影
標高225メートル、かつて「モイワ(アイヌ語で小さな山、坂)」と呼ばれていたように、気軽に登ることができ、道中では大正10年に天然記念物に指定された素晴らしい景観が、また山頂からは札幌の町が一望できる素晴らしい山、それが円山です。
というわけで、令和2年12月31日にも頂上の様子をご紹介しましたが、昨年31日は天候が優れないため登山は見送り、年が明けた1月10日、再び円山頂上を目指して出発しました。
薄曇りのため、暗い写真ばかりで恐縮です。
お茶のペットボトルと携帯ラジオをリュックに入れ、足元はトレッキングシューズにスパッツを装着し、いつもの八十八カ所入り口から入山します。
八十八カ所入り口
せっかく昨年購入した靴の滑り止めバンドはすっかり忘れていました。
積雪が踏まれて締まっているので若干滑りますが、わりと普通に歩けます。
何人もの人が下山して来ます。
また、後ろを振り返ると、新たに登ってくる人も数人見えます。
相変わらず登山道は日が当たらない箇所が多く、前回同様、時折立ち止まって鼻水をかみますが、今回はポケットティッシュ二つを持参したので安心です。
日陰とはいえ、いつの間にやら汗だくになりましたが、一枚脱ぐと休憩時に寒いかなと思い、そのまま我慢して歩きます。
長年の風雪に耐えてきたと思われる巨木を眺めつつ、日差しの当たる馬の背状の尾根を過ぎ、また日陰の斜面を歩きます。
ふと、前方から見覚えのある方が下山して来ます。あらら、北海道森林管理局猪島局長でした。
なんと前日は藻岩山に登ったとのことで、昨年7月に三国山にご一緒しましたが、相変わらずの健脚です。
しばらく歩き、頂上に到着、約30分の行程でした。
先客は年配のご夫婦連れが1組、女性の二人連れが1組、ほか単独登頂者が2名でした。
札幌市街が一望できます。相変わらず素晴らしい景色です。
札幌市街(クリックすると大きくなります)
少しずらした2枚の写真を並べてみました。
慣れている方でしたら裸眼立体視ができます。
(クリックすると大きくなります)
頂上の「山神」石碑を記念撮影です。
藻岩山や麓の平和記念塔も見えます。
(クリックすると大きくなります)
いつまでも眺めていたいのですが、入れ替わり立ち替わり登山者が登ってきます。
頂上部分は狭くほかの登山者の方々によい展望場所を譲るため、そろそろ下山です。
さて、下りは踏み固められた雪が大変滑るため、走り出したら止まれないなと思いつつ、一歩一歩慎重に歩きますが、スピードが出ないよう休み休み下ります。
下りは踏み固められ滑りやすい
途中、ふと遠くを見るとなんやら見覚えのある建物が。
おお、北海道森林管理局です。前回は気が付きませんでした
中央に北海道森林管理局が見えました
途中途中で登ってくる方と道を譲り合いつつ、急傾斜のところは滑らぬよう新雪部分を歩きながら、なんとか無事八十八カ所入り口に到着です。
頂上滞在時間を含め往復約1時間半弱のミニ登山ですが、円山は何度登っても楽しいですね。
この後、参拝客で賑わう北海道神宮の境内を散策し帰宅しました。
それではまた。
(計画保全部 目黒)
お問合せ先
総務企画部 企画課
ダイヤルイン:050-3160-6271