北海道国有林の大自然、森林づくりの現場などから届いた”HOTな写真”を掲載していくギャラリーです
森林(もり)の撮っておき!(2020年12月)
歴史ある地図と心意気 2020年12月23日(水曜日)撮影
私たちの職場では、色々な地図を使います。
施業に関わる地図だとか、土地の境界を示した地図だとか、道路の位置関係の地図だとか。そのせいか、結構古い地図が残っていたりすることもあります。
昔から、地図は大事な資料として使われてきたので、丁寧に保管され、それが今に残っているのでしょう。最近資料を調べていると、びっくりするくらい古い地図が出てきましたので、今回はそれをご紹介したいと思います。
まずはこちら。「郵便区全図」という地図です。郵便局で作成していた地図のようです。
森林事務所は昔から地域との関わりが深かったので、地域の情報を知るために使っていたのでしょう。住所の区画割が細かに記載されています。
郵便区全図1(5万分の1地形図)
郵便区全図2
郵便区全図3
発行年は、昭和34年。いまから58年前の地図になります。
続いて、これは地理調査所(現在の国土地理院)で発行されていた、「5万分の1地形図」です。
現在でいうところの2万5千分の1地形図のような使い方で、山岳地形を確認していたのでしょうか。
地図に書いてある「嶽尻幌」、これは幌尻岳(ほろしりだけ)の事を指していますが、昔は右から左へと文字を並べていて、また漢字も今と違うので、不思議な感じがしますね。
地形図1(ほろしりだけ)
地形図2
発行年は、昭和30年。郵便区全図より少し古く、65年前の地図になりますね。
ちなみに、国土地理院に行けば今でも謄本をもらえるようです。
そして、こちらなのですが…これは、音更町の地理関係を記載した地図で、「音更町図」という地図だと思われます。
かなり古そうな雰囲気がうかがえます。
音更町図1
音更町図2
音更町図3(図をクリックすると拡大します)
音更町図4(紙質は薄くて柔らかい)
紙質は薄くて柔らかく、今時の地図では見ることのないタイプです。少しでも雑に扱えば破れてしまいそう。
地図には発行年が書かれていません。しかし、3つ目の拡大した写真の右隅に「越中渡」という渡し船の記載があるので、調べてみると…この渡し船があったのは昭和27年までだそうです。
つまりこの地図は、昭和27年より古い地図、約70年ほど前の地図という事になりそうです。
70年、と言われると私には想像もつかない時代の話です。それだけ古い地図が今もきちんと残っているわけです。
令和2年に生きる私が、昭和20年代の地図を見ている。なんとも不思議な感覚です。
歴史を感じる地図の数々。いかに地図を大事にしてきたかが伺えますね。
今の時代、地図はもはやデジタルで扱う時代になって紙の地図を扱うことも少なくなってきましたが、地図が仕事の要であるというその精神は、忘れずにいたいなと思います。
(十勝西部署 芽室森林事務所 森林官 久保)
外国樹種見本林の看板を立て替えました 2020年12月17日(木曜日)撮影
外国樹種見本林その顔である入口の看板が、長年の劣化により危険な状態となったため、建て替えることになりました。
建て替えるまでの期間は、危険表示とトラロープで立ち入らないように表示し、景観上、多少物々しい状況でしたが、建て替え準備が整い12月17日ようやく新看板が設置されました。
危険表示の旧看板
建替作業風景
新しい看板は、トドマツを使用しており、全体的に白っぽく、文字も白いので最初は見にくいですが、月日がたてば良い色合いになってくるそうです。
隣接の三浦綾子記念文学館の看板も設置しているので、記念文学館の難波事務局長からも「素晴らしい看板が出来た」と好評をいただいています。
新しい看板が見本林の新しい「顔」として、これからも訪れる多くの入林者を温かく迎えることでしょう。
新看板の前で難波事務局長(右)と近藤署長(左)
(上川中部署 森林整備官 若﨑)
山岳遭難防止ポスターの掲示 2020年12月18日(金曜日)撮影
2020年12月18日(金曜日)に札幌市白石区のアウトドアショップ「秀岳荘」にて、北海道警察と北海道森林管理局は合同で作成した「山岳遭難防止ポスター」の掲示を行いました。
山岳遭難防止ポスターの前で取材を受ける
ポスターを掲示した北海道警察地域企画課の名和健志課長補佐は「天候などを見極めて、無理な登山は決してしないようお願いします。」とコメント。またポスターのイラストを担当した北海道森林管理局の平田美紗子事業企画係長は「コロナで山に遊びに行く人が増加している中、少しでも安全に山を楽しんでいただきたい」と呼びかけました。
記者の取材を受ける
来客した皆様へポケットティッシュとチラシも配布し、冬山シーズン本番を前に山岳遭難の防止を呼びかけました。
ポケットティッシュとチラシの配布
(広報主任官 志鎌)
イチイの老木 2020年12月14日(月曜日)撮影
遠軽町生田原の国有林で地況林況調査をしていたところ、イチイの老木と出会うことができました。
胸高直径は90センチメートル、樹高は16メートルほどの大木です。勝手な推測ですが、樹齢300年は経っているのではないでしょうか。
幹には大きな空洞がありましたが、青々とした葉をしっかりとつけていました。
周囲が人工林として造成される遥か昔から、この斜面に根付いていた老木には、風雪に耐え今後も末永く国有林を見守っていってもらいたいものです。
(網走西部署 生田原森林事務所 占部)
日本初のスキーリフト跡を訪ねる 2020年12月6日(日曜日)撮影
今年も12月に入り、まもなくウインタースポーツのシーズンとなります。
ウインタースポーツと言えばスキーを思い浮かべる方が多いと思いますが、今を去ること74年前、藻岩山に日本初のスキーリフトが設置されたことをご承知でしょうか。
昭和21年、日本初のリフトを備えたスキー場が、この藻岩山の東北斜面に設置されました。
工事は、当時北海道庁に勤務していた、後の北海道知事、堂垣内尚弘氏が担当し、スキーコースが2コース、トボーガン(一種のソリとのこと)コースが1コース、スキートゥ(リフト)は2組設置される計画でした。
札幌スキー場全体計画図
画像提供:土木学会附属土木図書館
昭和21年秋から突貫工事が始まり、12月24日に第1スキートゥが運転開始、「進駐軍専用スキー場」として使用されたとのことです。
昭和23年4月22日撮影の空中写真
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=234014&isDetail=true)
現在の地図にリフトのラインを記入
出典:国土地理院ウェブサイト(https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)
この第1スキートゥは現在の藻岩浄水場近辺に乗り場、ロッジが設置され、全長は983メートル、支柱(金属資材不足のため木製!)11基、2人乗搬器44個が取り付けられていたとのことです。
乗車場とロッジがあったと思われる付近
左端上部が藻岩山山頂
その後、昭和28年頃からは一般スキーヤーも利用可能な「札幌スキー場」と名前を変え競技大会などに使用、昭和33年2月に第13回国体スキー会場を最後に、昭和34年、現在の「藻岩山スキー場」に引き継がれました。
スキーコースについては、すっかり森林がよみがえり、今では全くその痕跡を残していませんが、藻岩山登山道の慈啓会病院側入口から約850メートル、登山道脇が「第1スキートゥ」の終点で、現在も当時のコンクリート製台座が現存しています。
藻岩山登山道の慈啓会病院側入口
第1スキートゥ終点に立つ札幌市により設置された看板
原動機が設置されていたと思われるコンクリート製台座
台座の前側に残っているコンクリート
台座の前側にも一部コンクリートの土台跡が残っており、リフト降車場と思われます。
登山道入り口から徒歩20分と、気軽に行ける位置にありますので、ご興味のある方はぜひ一度ご覧になって、70数年前のスキーヤーの気分を味わって頂ければと思います。
(調査官 目黒)
お問合せ先
総務企画部企画課
ダイヤルイン:050-3160-6271