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中部森林管理局

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    木曽悠久の森



    木曽悠久の森 木曽悠久の森 木曽悠久の森 木曽悠久の森 木曽悠久の森 木曽悠久の森 木曽悠久の森
    天然のヒノキ、サワラ等を交える木曽地方(長野県内の木曽谷や岐阜県内の裏木曽)の森林は、古くから良質の木材産地として歴史的・文化的に貴重な社寺仏閣等の維持や地域の木材産業の継承・振興に大きな役割を果たしてきました。
    こうした樹種で構成された森林は、針葉樹を中心に様々な植物や動物が生育・生息する生態系で、温帯性針葉樹林と呼ばれ、世界的にも大変貴重で希少な森林です。
    林野庁中部森林管理局では、この温帯性針葉樹林を守り育てていく取組を進めています。特に、人が苗木を植えて育てた森林は、自然に生えた樹木による森林へ転換させるために、抜き切りやササの除去などを行っていきます。

    場所

    木曽悠久の森紹介図
    長野県上松町、王滝村、大桑村、岐阜県中津川市に至る国有林に設定しており、その面積は東京ディズニーランド約340個分の16,579haに及びます。

    将来のすがた

    広がりをもって永続する天然林へ復元させる作業を、人工林の優良木材も得つつ、長期にわたって計画的に行います。温帯性針葉樹林を厳格に保存、復元するため、天然林を厳格に保存する核心地域(コアa)、人工林から天然林へ復元する核心地域(コアb)、コアを守るための緩衝地域を設置しています。



     

    将来(イメージ)

    木曽悠久の森 木曽悠久の森
    温帯性針葉樹が多くを占める天然林 落葉広葉樹と、温帯性針葉樹が混交している天然林

    木の文化にも大きな役割

    江戸時代の伐採の様子(木曽式伐木運材図会より) 大正~昭和時代の木材輸送

    木曽山の歴史


    天正18年 (1590) 豊臣秀吉、木曽氏領有地を直轄領とする。

    慶長5年 (1600) 徳川家康の直轄領となる。強度大量伐採始まる。

    元和元年 (1615) 尾張徳川領となる。築城、造船、土木用材等を伐り出す。

    明暦3年 (1657) 江戸大火・復興材を伐り出す。

    寛文5年 (1665) 留山とめやま巣山すやまを設ける。赤沢ヒノキ林留山となる(当時伐採されずに残っていた赤沢の木曽ヒノキ林を資源の保存を図るために指定)。

    宝永6年 (1708) ヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキを停止木ちょうじぼくとする。後にネズコも停止木ちょうじぼくとなる。

    (1716~1735) 天然更新(ヒノキ等の幼齢林の形成)。

    元文3年 (1738) カツラ、ケヤキが留木とめぎとなる。

    (1789~1867) 上木の伐採(1700年頃に伐り残され、生長した木曽ヒノキを抜き伐り)。

    明治元年 (1867) 一部強度伐採(約10ha、伐採率87%)。

    明治3年 (1869) 明治政府へ移管。

    明治12年 (1879) 内務省山林局設置される(官林)。

    明治22年 (1889) 帝室林野局御料林となる。

    明治39年 (1906) 神宮備林となる(20年ごとに行われる伊勢神宮の造営のための木曽ヒノキ供給を目的としていた。木曽ヒノキの成長を助け、ヒノキ稚樹を発生させることを目的として、木曽ヒノキ以外の木を中心に抜き切り(伐採率5~10%程度))。

    明治44年 (1911) 中央本線が開通する。

    大正5年 (1916) 小川森林鉄道完成。神宮備林施業始まる。

    大正9年 (1920) 集材機導入実験(日本における先進林業地)。

    昭和22年 (1947) 林政統一。国有林となる(神宮備林廃止)。

    昭和24年 (1949) チェンソー導入実験。

    昭和39年 (1964) 学術参考保護林を設定。

    昭和40年 (1965) 小川森林鉄道廃止される。

    昭和44年 (1969) 全国初の自然休養林に指定され、翌年開園。

    昭和50年 (1975) 王滝線を最後に国内の森林鉄道は全廃される。

    昭和53年 (1978) 皇太子殿下・妃殿下、赤沢自然休養林をご視察される。

    昭和57年 (1982) 森林浴発祥の地として「第一回全国森林浴大会」が開催される。

    昭和58年 (1983) 「21世紀に残したい日本の自然百選」に選定される。

    昭和61年 (1986) 「森林浴の森・日本百選」に選定される。

    昭和62年 (1987) 観光用として赤沢森林鉄道運行が開始される。

    遺伝子保存林を設定。

    平成5年 (1993) 保護林を設定(学術参考保護林及び遺伝子保存林を再編)。

    平成8年 (1996) ふれあいの道(バリアフリーのコース)完成する。

    平成13年 (2001) 環境省「かおり風景100選」に選定。

    平成14年 (2002) 「徒歩百選」に選定。

    平成17年 (2005) 第62回伊勢神宮式年遷宮御杣始祭が行われる。

    平成18年 (2006) 「森林セラピー基地」に認定される。

    平成25年 (2013) 森林生物多様性復元地域「木曽悠久の森」に指定される。

    平成26年 (2014) 森林鉄道遺構が林業遺産に指定される。

    平成28年 (2016) 赤沢自然休養林、森林鉄道が日本遺産に認定される。

    木曽五木きそごぼく

    ヒノキ(ヒノキ科)
    葉裏の気孔群はY字状に白く見えます。
    樹皮は大きく剥がれ、屋根の材料となります(檜皮葺ひわだぶき)。
    名は、擦り合わせて火を起こした「火の木」に由来しています。
    用途は、建築・建具・家具・彫刻等。
    ヒノキ
    サワラ(ヒノキ科)
    葉裏の気候群はX字状(リボン型)に白く見えます。
    樹皮は細かく剥がれます。
    善光寺山門の屋根はサワラの薄い板を重ねた栩葺とちぶきです。
    用途は、桶類・家具・建具類等。
    サワラ
    アスナロ(ヒノキ科)
    葉裏の気孔群は白く見え、動物の足裏に似ています。
    別名ヒバ、アスヒと呼ばれます。
    用途は、建築・土木材・船・車両等。
    アスナロ
    コウヤマキ(コウヤマキ科)
    葉の形の違いが明らかです。
    日本特産の一属一種。
    ヒノキよりも一層乾燥地に生育し、峰筋、とくに表土の浅い岩石地等に多くあります。
    名は高野山に多く見られることに由来しています。
    用途は、桶類・浴室内装材・船・橋梁等。
    コウヤマキ

    ネズコ(ヒノキ科)
    葉裏の気孔群は明瞭ではありません。
    樹皮は黒っぽく、材も五木の中で最も黒色です。
    黒部渓谷に多く見られることから別名クロベと呼ばれます。
    用途は、建具・器具・下駄・民芸品等。
    ネズコ




    森を歩いてたら、足下に針葉樹の葉っぱが落ちてたよ!
    なんて名前?
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    その他リンク

    会議資料

    温帯性針葉樹林(木曽悠久の森)-特に木曽ヒノキについて- (講師:山本進一様)【外部リンク】

    第1回「木曽悠久の森」写真コンテスト入賞作品(PDF:643KB)


    第2回「木曽悠久の森」写真コンテスト入賞作品

    「木曽悠久の森」の管理基本計画書

    木曽悠久の森の一部が赤沢自然休養林になっていて、観光できます。

    木曽悠久の森の一部が木曽生物群集保護林になっています。

    木曽生物群集保護林復元計画

    お問合せ先

    計画課

    担当者:流域管理指導官
    ダイヤルイン:050-3160-6500

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