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〒399-5604
長野県木曽郡上松町大字正島町1-4
TEL/050-3160-6065
FAX/0264-52-2582

木曽森林管理署管内(木曽谷流域)は、長野県南西部で木曽川の上流に位置し、2市3町3村からなり、国有林は全ての町村に所在し、その国有林野面積は95,721haとなっており流域面積の57%を占め、木曽森林管理署が管轄しています。
国有林は、木曽川、信濃川の源流部に位置しており、発電事業用水、農・工業用水、生活用水の重要な水源地であることに加え、急傾斜地が多い上に深層風化の進んだ花崗岩が広く分布しており崩壊地も多いことから、地元・下流の住民からは土砂流出・崩壊の防備、水源かん養といった安全で快適な生活を確保するための機能の発揮に対し、強い期待が寄せられています。
この流域には森林浴発祥の地である赤沢自然休養林をはじめ、優れた自然景観に恵まれた御嶽山、木曽駒ヶ岳、開田高原、薮原高原など森林レクリエーション資源が豊富なことから、森林浴、スキー、登山や温泉を目的に、中京圏などから多くの人々が訪れています。
また、木曽谷は日本三大美林の一つ、木曽ヒノキの産地として全国にその名が知られており、現在でも林業・林産業が木曽谷の主要産業となっています。
木曽森林管理署管内の森林面積は、157,656haで流域面積の93%を占めています。このうち人工林面積は69,981haで森林面積の44%、また、天然林面積は77,401haで森林面積の49%となっており、人工林に比べ天然林の比率がやや高くなっています。
人工林を樹種別に見ると、流域全体ではヒノキが52%と最も多く、次いでカラマツの順となっても、まず林齢構成については、6割以上が40年生以下の森林となっており保育・間伐を・必要としています。天然林は、国有林は木曽ヒノキ、サワラ、ネズコ、ヒバ、コウヤマキの木曽五木を主体とする針葉樹が大半を占めるのに対して、民有林は広葉樹が8割以上占めています。


木曽森林管理署では、国土の保全や水資源のかん養、環境の保全などの公益的機能の維持増進を重視した管理経営を推進しています。このため、ひとつひとつの森林を重点的に発揮させる機能によって「水土保全林」、「森林と人との共生林」、「資源の循環利用林」の3つに類型化した上で、適切な管理経営に努めています。
この流域の国有林は、急傾斜地が多く地質も風化浸食が進んだ花崗岩が広く分布しているうえ降水量も多いことから、計画的な治山事業を行うとともに土砂流出防備機能を高めるため針葉樹と広葉樹が混じり合った森林を作る混交林施業などを推進することとしています。また、中京圏や中信地域の生活用水、工業用水の重要な水源となっており、森林の持つ保水機能を高めるため複層林施業などを推進することとしています。

69,876ヘクタール73%
御嶽山、木曽駒ヶ岳、開田高原などの優れた自然景観に恵まれた地域であり、国有林としてもこの豊かな自然を多くの人に楽しんでもらうため、貴重な自然環境を保全し、人と自然とのふれあいの場を提供していくこととしています。また、木曽ヒノキ、サワラ、ネズコ、ヒバ、コウヤマキの木曽五木など貴重な森林を後生に残すため、保護林を設定しています。

古くから木曽ヒノキの産地として全国的に有名で、伊勢神宮の運営用材をはじめとする歴史的木造建造物の建築用材として各方面で使用されており、この貴重な木曽ヒノキの計画的な利用と育成に努めるほか、ヒノキ、カラマツの人工林についても適切に保育管理することにより、木曽谷の林業・林産業の発展に努めます。

4,786ヘクタール5%
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長野県西部地震災害は、昭和59年(1984)9月14日午前8時48分、長野県木曽郡王滝村を震源としたM6.8の地震により、死者・行方不明者29名・家屋の損壊604戸の甚大な被害を発生させました。
そして、周辺の国有林野では、御嶽山南斜面の大崩壊(通称、「御岳崩れ」という。)から発生した土石流などにより、下流域600haの森林地帯が消失しました。そのため、中部森林管理局は、災害直後から現在に至るまで、渓間工、緑化工等の治山事業を積極的に実施し、かっての豊かな森林の再生に取り組んでいます。
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| 災害直後の全景 | 濁沢と伝上川の荒廃状況 |
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| 平成15年(2003)全景 | 被災地の位置図 |
昭和59年(1984)9月14日午前8時48分
王滝村でマグニチュード6.8の地震が発生し、御嶽山の南西斜面が大崩壊しました。
荒廃した国有林が多くの労力で、豊かな森林へと再生されています。

長野県西部地震災害では、「御岳崩れ」により発生した3,600万m3の崩壊土砂が、土石流化して伝上川・濁川・鈴ヶ沢を流れ下り、その周辺の森林地帯を消失させ、深い渓谷を埋め尽くしました。
そのため、中部森林管理局は、渓谷を埋め尽くした崩壊土砂による二次土砂災害や牧尾ダムへの土砂流入などを防止するため、伝上川・濁川・鈴ヶにおける「渓間工」の設置、荒廃山地での「緑化工」など緊急的な災害復旧対策を実施しました。
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渓間工工事(昭和59年度) |
航空緑化工事(昭和59年度) |
そして、濁沢では、平坦部約55haに堆積した675万m3の多量な土砂を安定させるため、コンクリートの低ダム群を配置し流路を安定化するとともに、カラマツ間伐材を使用した渓間工、土留工等を配置し、森林基盤の造成を行いました。現在は、植栽した樹木や自然発生の植生によって、安定した混交林へ推移しています。

濁沢復旧工事(昭和60年)
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昭和59年(1984) |
平成20年(2008) |
濁沢地区でのボランティア作業
![]() 植栽作業 |
![]() 除伐作業 |

国民の森は、中日新聞社が創業百周年記念行事として、「緑と水を守り、治山治水、森林・林業への意識を高め、うるおいのある国づくりを図る」ことを目的として造られました。
個人・企業などからの寄付金と中日新聞社の拠出金により、昭和62年より、濁沢地区(16.5ha)にヒノキ・ミズナラ・ヤマハンノキなどの多様な樹種約9万本の植栽が実施されました。

緑のバトンは、御嶽山麓のミズナラなどの実を自宅の庭や鉢で育て2年後の春、その苗木を災害復旧地に自らの手で植樹することで、上下流の人達が力を合わせ森林を育て、豊かな水と緑あふれる地球を、未来につなげます。
1999年秋に採種し、2001年から植樹がはじまったことから「未来世紀へつなぐ緑のバトン」と名づけられ、濁川の災害復旧地に森(も)林(り)が造られました。