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岩手南部森林管理署 遠野支署

山のお話

国有林であった山のお話

国有林であったものではないですが、森にたくさんいるコウモリとヒトの間で

コウモリ先生・横山恵一(投稿)

30年以上も前、野鳥の観察にのみ全エネルギーを注いでいた私は、これからはどうしても鳥より哺乳類、特にサルの研究をしなくてはならぬと決心したことがあった。それは今思い返すと、次のようなことであったと思う。そのころ、アフリカのサバンナ地帯に住んでいるチンパンジーに注目した、今西錦司博士率いる京都大学霊長類研究グループは、彼らの生活様式に関する目の覚めるような論文を次々に発表していた。野生チンパンジーの研究は、「人間の本性とはいったい何か」ということを考える上で重要なヒントを与えてくれるに違いない、そういう予感を覚えるものであった、付言すると、アフリカのウッデッド・サバンナと呼ばれる半乾燥地帯こそ、いまから約五〇〇万年前、チンパンジーとヒトの共通祖先から分かれた我々の祖先が、二本足で立ち上がり、ヒトへの第一歩を踏み出した。まさに人類進化、揺籃の地だったのである。
今西門下の伊谷純一郎博士ら若手研究者達は、そのサバンナに住むチンパンジーの社会が父系性であることを明らかにすると共に、カモシカ、小型サル類を集団で捕獲し食べる肉食の習性、また、その際見せる食料の分配、そして有名なシロアリ釣りといった行動などから、ヒトの文化の起源に迫る数々の考察を行った。また、同研究者達が観察した、主に雄達によるいじめ、子殺し、そして多集団への殺戮を伴う襲撃といった行動は、人間の暗部、負の側面(子供のいじめから国家間の戦争まで)の起源を探る上で重要な意味をもつのではないか、として注目されたのである。寛容で高潔な精神を示す一方、不寛容で卑しい心をも併せ持つ人間は、いったいどこから来てどこに行こうとしているのか、人間とは何か。そういうことを私は痛切に知りたかった。それにはサルだ。サルを研究しなくてはならぬ。そう思ったのである。
それがどういう訳か、サルではなく、コウモリの研究をすることになったのだから人生分からない。当時、私の話をにこにこしながら聴いていた恩師の内田照章教授(前日本哺乳類学会会長)は「哺乳類の中でも、モグラ、コウモリ、サルの類縁はものすごく近いんだよ、きっと、コウモリも面白いと思うよ」といって下さった。考えてみると、ヒトとコウモリは鏡の表と裏みたいなものである。ヒトは直立しているのに対しコウモリは倒立しているのが普通の姿だ。ある共通祖先からサルとコウモリが分かれる場合、進化のスイッチがプラスにいると、その動物は、最終的には直立が状態のヒトになるよう方向づけられ、一方マイナスにいるとその反対に倒立姿勢が状態のコウモリになるのではないか、などと考えたこともあった。ところが最近、前述の、モグラ、コウモリ、サル・グループからサルをはずそうとする、すさまじい学説が、分子生物学のほうから持ち上がっている。サル、すなわち霊長類は、モグラやコウモリなんぞより、むしろゾウやネズミの仲間に近いというのだ。うかうか目が離せない昨今である。

2000年岩手日報夕刊、科学ランド「環境を考える」掲載

早池峰山でライチョウをみた?

自然の会会報「風のたより」から

祖父が寝ている部屋のすみには蓄音機があって、その横に、当時珍しかった野鳥の声を録音したSP版のレコードが5・6枚そろっていたのである。病床の祖父はそれを時々聞きながら山を思いだしていたものらしい。私は、針をとっかえひっかえそれに聞き入った。そして、しょっちゅう私は野外に出かけ、レコードで聞いた声をたよりに種類を識別しては喜んでいた。また、このレコードにはライチョウやアホウドリの声なんてものもちゃんと入っていて、私は早く大きくなってこんな鳥たちの住む高山や無人島を訪ねてみたいものだ、などと夢想していたようである。さて、後年私はその中のライチョウと不思議な出会い方をするのであるが、・・―中略―
1969年9月3日に私は一人で早池峰山に登った。小田越の小屋に一泊した私は午前5時10分、小雨混じりの道を山頂目指して登り始めた。森林限界も杉高山帯にはいると、濃いガスが横なぐりの風にのって切れぎれ飛んでいた。
二合目の丘に着いたのは、午前6時43分、とその時である。前方約5mの草原の中から一見ウズラに似た薄茶色の鳥が、羽音もするどく飛び出し、ダダッと剣ヶ峰方面の森林限界線めがけて急降下していったのである。私はボウゼンとして立ち尽くしていた。
一瞬見ただけだが、その鳥はキジ、ヤマドリの雛などでは断じてなかった。それは、先年私が北アルプスで親しく観察したライチョウにあまりにも似ていたのである。
とまあ、こういう話なのであるが、その後私は、古い日本鳥学会誌に、岡田喜一という方が早池峰山にはライチョウがいるという噂がある、と述べているのを知った。私は山の神様が、日頃の精進を目でて、ちらりと私に噂のご本尊を拝ませて下されたものと信じている。最も、日頃親しくしていただいている動物写真家の時田さんにこの話を持ち出すと、ニヤニヤしながら「証拠がないことにはねー、まあ強くは否定しませんがね」などとおっしゃるのである。証拠がないのにこんな文章を書いていささか軽率の誹りは逃れないが、私はかつてイギリスのある学会誌に、かのネス湖の恐竜の数を推定している論文が載っているのを知って、さすが、ウイットとユーモアの国は違うと驚いたことがある。今回のライチョウ話も、「おまえ、現実と願望がごっちゃになったな」とお聞き流し頂ければ幸いである。
とは言うものの、あれから20年たつが、私は時々密かに次のようにつぶやくのである。「それでも早池峰山にライチョウはいるんだ。」と

キツネはうまくだますもんでがんす

「恩徳徳三じいさんの話」より

キツネはうまく人を化かすもんだ、おらも何回もだまされたもんでがす。
(苗畑で)
琴畑さ行くところの営林署の苗畑にいたとき、一人で草取りをしていたら、多くの人が話をしている声が聞こえるのでがんす。何の話だろうと思って、よく耳を傾けても、人の声とはわかっても、何いってるのかはわんねっでがんす。何人かの人が、がやがや話してんでがんす。
そうしている内に、後ろから声が聞こえて、「はっ」とたって後ろをむいたのす。大きな木の陰にいたキツネがいてびっくりして逃げたのす。少し離れると、また止まってこちらを見てるのす。むこうも急に立ったからびっくりしたのでがんす。
きつねは、人をだました証拠を残すんでがすな。
(女の人)
また、一人だけでなく、一緒にいる人みんなをだますもんでがんす。営林署の主任と補助員とこの先に見える山に調査にいったときでがんす。暗くなってきたので、近道があるということでそちらを下ったのです。しばらく下ったところ、提灯のような明かりが見えるのす。声をかけたのす。すると、女の声で、ハーイときこえた。人がいるから明かりを借りようと思ってちかずたのす。そうすると、途中で火が消えて、何もなくなったのす。
しばらく、そこさいたんでがんすな。ボーとなったんでがんすか。長い時間いたんでねか。それから大変な苦労して県道さでたら、おれの親父が迎えにきていたのす。夜の女の声は寂しいもんですな。

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