このような青森ヒバの天然林に間近に接することができる場所が青森市内にある。青森市内から車で約40分ほどのところ、津軽半島南部に位置する眺望山(ちようぼうさん)は、海抜高143メートルほどの山であるが、青森ヒバの美林がうっそうと茂った天然の樹海となっている。また、青森ヒバ以外にも樹齢100年を超えるヒノキ、カラマツ、スギなどの針葉樹や、ナラなどの広葉樹と様々な樹種も見ることができる。
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眺望山位置図
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眺望山の名称は、大正7年(1918年)に当地を訪れた農商務省山林局長(現在の林野庁長官)が山頂から眼下に望まれる陸奥湾、青森市街地、周囲の山並みを賞賛し、名付けたとされている。かつては、しばしば山火事被害が発生したため、地元では「焼山」と呼ばれていた時期もあり、未だに黒く炭化したヒバの伐根を見ることができる。
国有林では、地元関係者等の協力も得ながら、山火事防止などに努めた結果、樹木が生い茂り、緑を取り戻していった。その一方、当時の眺望が失われることとなり、惜しまれる声も聞かれたが、平成22年3月に、高さ19メートルの展望台が設置され、再び陸奥湾、八甲田山等の眺望が楽しめるようになっている。(実際の眺望は是非ご自身の目で確かめて欲しい。)
現在、眺望山の中には、青森ヒバを保護するため伐採などを行わずに手つかずの状態で管理している区域(保護林)と、青森ヒバを守り育てるためにはどのような伐採等を行うべきかを試験研究するための区域(試験地)が設定されており、学術研究のために利用される場所にもなっている。
(1) 保護林(眺望山ヒバ植物群落保護林)
保護林とは、動植物の保護や遺伝資源の保存等を目的として設定された国有林である。この制度は、自然公園法の前身である国立公園法(昭和6年)や、文化財保護法の前身である史跡名勝天然記念物法(大正8年)の制定に先駆け、大正4年に独自に発足させたものであり、以来、国有林では目的に適う区域を保護林に設定し、保全・管理を進めている。
眺望山では、保護林制度発足間もない大正7年(1918年)に、津軽半島のヒバ天然林を保存して、ヒバの配置や構成、成長の過程を観察し、森林施業の指針とすること等を目的に「眺望山ヒバ植物群落保護林」(現在の名称)が設定されている。
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保護林の看板
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設定後、伐採等は行わずに自然の推移に委ねた管理を行ってきたため、現在は、樹齢180年から300年生の森林となっており、一部には形質の悪い立木も見られるものの、おおむね原生林に近い「ヒバ」純林で、大径木が多い。また、うっ閉して陽光の射入がほとんどないため、林内は暗く、下層植生は耐陰性の強いツルアリドウシ、ツルリンドウ等のほかヒバ稚幼樹が生育している。
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保護林の様子(老齢の大径木が多い)
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林内に生育するヒメホテイラン
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(2) 試験地(穴川沢ヒバ成長量試験地)
眺望山には、択伐(抜き伐り)によるヒバ林の変化、成長の経過等を明らかにするとともに、生産性が高く、永続的に収穫できるヒバ林を創りあげることを目的に「穴川沢ヒバ成長量試験地」が設定されている。
この試験地は、ヒバの試験地の中で最も古く、大正3年(1914年)に設定され、大正14年(1925年)には、隣接地に第2試験地も設けられた。
試験地設定後、前者の第1試験地では6回、第2試験地では5回の択伐を行い、ヒバの成長量の変化等を調査観察してきた。現在の森林の状況をみると、林内はおおむね稚樹から大径木までの多段林型をなし、適度な陽光があるため、下層植生も比較的豊富な状態となっている。また、調査期間中に、択伐によりヒバ材が産出され、有効に活用されている。
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試験地の様子(若木が数多く育っている)
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この試験地について、上記の保護林と比較した興味深い調査結果が出ている。
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試験地と保護林の成長量比較
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上述のとおり、両試験地では、択伐を繰り返すことによって、調査期間内で保護林を伐採したのと同等程度の量(約500~600立方メートル)のヒバ材を産出したが、残った立木は特段損なわれることもなく、成長を続けていることがうかがえる。
一方、保護林では、伐採を行わなかったものの、材積の増加がほぼ止まった状況にある。生育している限り立木の成長が止まることはないことから、林内では成長に見合う量の枯死木が同時に発生しているものと推察される。
以上のことから、青森ヒバは、木材利用の観点からみれば、定期的に択伐を行うことにより、永続的に木材を収穫できる可能性があることが分かり、現在、青森ヒバ林での伐採は、この択伐による方法が基本となっている。
100年も前にこのことを見越して試験地を設定した先輩諸氏の林野技官としての卓越した見識に頭が下がる思いである。
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