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近畿中国森林管理局

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    大杉谷国有林からの手紙(59通目)

    PDFはこちら→大杉谷国有林からの手紙(59通目)(PDF : 1,070KB)

    大杉谷に残る山泊宿舎の名残2023年3月   

      尾鷲では梅の花やカワヅザクラが咲き、段々と暖かい日が増えてきています。大杉谷国有林の林道にはまだ雪が残っている様子ですが、本格的な春の訪れが楽しみな季節となってきました。



      大杉谷からの手紙51通目では「桃の木小屋」という山小屋をご紹介しましたが、実はもう一つ、大杉谷国有林には「粟谷(あわだに)小屋」という山小屋があります。「粟谷小屋」は、かつては造林事業用の山泊宿舎として利用されており、国有林の造林(苗木の植え付けや下刈りなど)を担っていた作業員の方々が夏の間に生活していた建物でした。
      今回は「粟谷小屋」とその歴史についてご紹介しながら、昭和の時代に利用された山泊宿舎の歴史を振り返ってみたいと思います。

    (1)粟谷小屋について



      粟谷小屋は、右図のとおり桃の木小屋よりも大台ヶ原寄りに位置しています。標高は1,160mであり、大台ヶ原の頂上である日出ヶ岳山頂(1,695m)までは、登山道を歩いて約2時間(参考:大杉谷登山センターホームページ)の距離です。
      粟谷小屋は、大杉谷や大台ヶ原を登山する方に利用されていますが、昨年11月には、私たち国有林の職員も国有林の調査のために宿泊させていただきました。小屋ではお風呂や食堂を利用し、11月の大杉谷の空気で冷えた体を暖めることができました。


      ここで簡単に粟谷小屋の歴史を振り返ってみます。粟谷小屋の建物は昭和46年度に、大杉谷国有林の造林事業用の山泊宿舎として建設されました。当時は4月から11月までの間、国有林の造林を担う作業員に利用されていましたが、その後、事業量の減少により年間2~3ヶ月程度に利用頻度が下がり、働き方も山泊形態から通勤形態へと徐々に変化していきました。そこで持ち上がったのが、粟谷宿舎を登山者向けの山小屋として利用することでした。
      当時、大杉谷の登山道には桃の木小屋と堂倉避難小屋の二つの施設がありましたが、昭和54年に堂倉小屋におられた管理人の方が小屋守りを終了されたこともあり、地元町村からは遭難救助などの拠点として粟谷宿舎を活用したいという声が上がっていました。こうした背景を踏まえ、昭和61年度より粟谷宿舎を一般登山者への山泊施設「粟谷小屋」として開放することが決定し、今日まで山小屋として利用され続けています。


    (2)国有林内の山泊宿舎の歴史

      ここまでは粟谷小屋の歴史を振り返ってきましたが、国有林内には他にもいくつかの山泊宿舎がありました。
      文献によると、山泊宿舎は、製品事業所と併せて設置された宿舎と造林を担う作業員が寝泊まりした宿舎の、主に2種類が存在したようです。
      造林の事業は3月頃から始まり、植え付けや下刈りの最盛期には、50人以上もの人たちが仕事の進行に伴って山小屋を渡り歩いたそうです。宿舎での生活はとても厳しかったそうで、「寒い時はワラの上に布団を敷き、一枚に二人入り、風が入らぬように端を丸太で押えて寒さを防ぐなど食生活をも含めて粗末なものであった。」との記録が残っています。


      写真2、3に写っている不動谷従業員宿舎は、昭和8年に設置された不動谷製品事業所と併せて設置された宿舎です。製品事業所は、主に立木の伐採・搬出の拠点として利用されていたようです。
      記録によると、最盛期の同事業所には総員70人ほどが山泊をしており、家族同伴の入山者もあったそうです。事業所には購売部、診療所、理髪所なども設けられ、郵便物・軽量雑貨の運搬専門者も置かれるなど「ちょっとした営林署集落の出現であった。」と記されています。

    (3)国有林内に残る山泊宿舎の名残

      このように国有林内にいくつも存在していた山泊宿舎ですが、現在は粟谷小屋が利用されている以外に建物は残されていません。しかし、かつての山泊宿舎の一部やその痕跡が残っている場所があり、昨年4月に訪れることができたので最後に写真を交えて少しだけ紹介します。

      ご紹介する宿舎跡は千尋(せんぴろ)谷という場所にあります。写真4が元々あった千尋従業員宿舎の様子です。現在、建物は残っていませんが、写真5と写真6のように宿舎の痕跡と思われるものが少しだけ残っていました。
      これらは一体何の跡でしょうか。
      写真5はかまどの跡のように見えます。現在はかまどで調理する場面を見かけることはありませんが、1950年代頃までは一般的に利用されていたそうです。大杉谷の宿舎でも、このかまどを使って食事が作られていたのかもしれません。写真6はタイルのようなものが見えるので、風呂場の跡でしょうか。
    想像の範囲ではありますが、これらの痕跡を通して、かつての事業宿舎の様子をうかがい知ることができました。






      今回の手紙では粟谷小屋をはじめとした、国有林内の山泊宿舎の歴史を振り返りました。山泊宿舎という存在を通して、かつては想像もつかないほど大勢の方が大杉谷国有林の林業に携わり、生活もしていたということを知ることができました。そんな多くの方々のおかげで今の大杉谷国有林が存在し、木々も成長を続けているのだと感じました。そんな先人の方々への感謝の心を忘れず、今後も大杉谷国有林での業務に取り組んでいきたいと思います。
      皆さんも大杉谷の登山をする際に粟谷小屋に立ち寄られることがありましたら、大杉谷国有林の歴史の一端を感じてみてください。

    <参考文献>『大杉谷国有林の施業変遷史』,1981,尾鷲営林署編


    2023年3月
            編集:三重森林管理署  尾鷲森林事務所  係員
            発行:三重森林管理署  尾鷲森林事務所  地域統括森林官





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