温根湯森林鉄道 写真集
留辺蕊営林署の過去の歩みを記録した『写真でつづる40年史』(昭和57年3月発刊)より、温根湯森林鉄道の写真を紹介します。
![ボールドウイン](/hokkaido/square/railway/img/01_r.jpg)
ボールドウイン
大正10年より活躍。 昭和37年廃車
温根湯森林鉄道は、北見管内を代表する森林鉄道で、歴史も一番古い。
大正8年に温根湯経営区に森林鉄道を敷設するため、測量に着手し、管内の林鉄はここから開始された。
測量を終え、大正9年(1920年)10月に着工した林鉄は、大正10年9月には17.3kmの本線、支線軌道6.6kmが完成し、年度内の翌年3月末までに、7万石余を運材した、と記録に残されている。
しかし冬期下の悪条件、加えて昼夜兼行、秋田、青森出身の作業員が大半を占め、作業に未経験だったことから、事故も多く出たとあり、当時の苦労が偲ばれる。
大正14年には林鉄も41.6kmと延長され、年間輸送も12万石とふくれあがった。
ここの林鉄に使用された機関車は、アメリカから輸入したボールドウイン製と呼ばれるもので、温根湯に森林鉄道が建設されるに当たって、運材用として当時津軽や小川森林鉄道で、優秀な成績を収めていた、ボールドウイン製機関車が、適当であると発注されたもので、大正10年に製造されている。
また当時の鉄道省釧路工場で、昭和16年(1941年)製造された、初の国産機関車が使用されたことも特筆される。
「森林鉄道」より
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![温根湯森林鉄道](/hokkaido/square/railway/img/02_r.jpg)
大正8年、温根湯経営区の林鉄敷設の測量に着手。 大正10年9月に温根湯森林鉄道17.3km、軌道6.6kmが完成。
![山土場における積込作業員](/hokkaido/square/railway/img/03_r.jpg)
山土場における積込作業員 (昭和12年)
![給水場](/hokkaido/square/railway/img/04_r.jpg)
給水場で機関士、助手と共に (昭和16年)
![軍用材の運材](/hokkaido/square/railway/img/05_r.jpg)
軍用材の運材 34号事業所土場 (昭和17年)
![ボールドウイン2号車](/hokkaido/square/railway/img/06_r.jpg)
ボールドウイン2号車
![人力による積込作業](/hokkaido/square/railway/img/07_r.jpg)
人力による積込作業
![積込さん達の一服](/hokkaido/square/railway/img/08_r.jpg)
積込さん達の一服 (昭和17年)
![大町、層雲峡事業所間に架設された木橋](/hokkaido/square/railway/img/09_r.jpg)
大町、層雲峡事業所間に架設された木橋(高さ50m)試運転
![木材の上に夜具を載せて、上下山した](/hokkaido/square/railway/img/10_r.jpg)
木材の上に夜具を載せて、上・下山した。
![保線での信号待ち](/hokkaido/square/railway/img/11_r.jpg)
保線での信号待ち。 女性の駅長さん活躍
![脱線事故](/hokkaido/square/railway/img/12_r.jpg)
脱線事故
尊い人命を失うことも
![冬山造材のための荷上げ](/hokkaido/square/railway/img/13_r.jpg)
冬山造材のための荷上げ (昭和15年頃)
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![検車](/hokkaido/square/railway/img/14_r.jpg)
駅構内に貨車が着くと台車の点検をし、不良箇所を早期に発見、事故防止に努める。
![油差し](/hokkaido/square/railway/img/15_r.jpg)
油差し
検車と同時に車軸に注油し、メタル破損防止。
![軌道クレーンによる積込作業](/hokkaido/square/railway/img/16_r.jpg)
軌道クレーンによる積込作業。 人力に代わり、労働の軽減を図る。
![人力による積込作業](/hokkaido/square/railway/img/17_r.jpg)
人力による積込作業
![車上検知](/hokkaido/square/railway/img/18_r.jpg)
車上検知
![森林鉄道乗務員](/hokkaido/square/railway/img/19_r.jpg)
森林鉄道乗務員
![内燃機関車](/hokkaido/square/railway/img/20_r.jpg)
内燃機関車
昭和31年より導入、風倒木処理で活躍
![石北峠の反対側](/hokkaido/square/railway/img/21_r.jpg)
石北峠の反対側
旭川局と北見局の境のため、旭北峠と名付けた。
![制動手が台車の離脱を監視](/hokkaido/square/railway/img/22_r.jpg)
空車上げ、制動手が台車の離脱を監視
![層雲峡事業所よりの運材](/hokkaido/square/railway/img/23_r.jpg)
層雲峡事業所よりの運材
![ロータリーによる除雪](/hokkaido/square/railway/img/24_r.jpg)
ロータリーによる除雪
![協三型ヂーゼル](/hokkaido/square/railway/img/25_r.jpg)
協三型ヂーゼル 5屯
昭和26年より昭和33年まで、主として構内入替に活躍
![沿線の点検](/hokkaido/square/railway/img/26_r.jpg)
沿線の点検
![旭北峠での待合せ](/hokkaido/square/railway/img/27_r.jpg)
旭北峠での待合せ
![林鉄での卸しと品等検査](/hokkaido/square/railway/img/28_r.jpg)
林鉄での卸しと品等検査
![人力による巻立て](/hokkaido/square/railway/img/29_r.jpg)
人力による巻立て
![電動巻揚機](/hokkaido/square/railway/img/30_r.jpg)
電動巻揚機(シャリバン)
昭和初めより使用
![巻揚げ](/hokkaido/square/railway/img/31_r.jpg)
巻揚げ
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![砂利散布](/hokkaido/square/railway/img/32_r.jpg)
砂利散布。 毎年4~5月頃、線路に砂利を入れ、搗固めを行う。 女性も大活躍
![土砂崩れ復旧工事](/hokkaido/square/railway/img/33_r.jpg)
土砂崩れ復旧工事
![鉄路を守る工夫さん](/hokkaido/square/railway/img/34_r.jpg)
鉄路を守る工夫さん
![森林電話の保線作業](/hokkaido/square/railway/img/35_r.jpg)
森林電話は林鉄と共に連絡用として施設され、斫伐事業所の連絡等、その保線作業も大切なものであった。
昭和53年より無線となる。
![保線工事](/hokkaido/square/railway/img/36_r.jpg)
保線工事
温根湯森林鉄道で忘れられないことは、昭和14年7月、北海道林業の父として尊敬されていた、当時の道庁林務課長、勅任技師の林駒之助氏が、軌道自動車に乗って視察の途中、温根湯森林鉄道51号付近で、衝突事故により殉職されたことである。
この事実は北見林業を語るとき、後世に伝えねばならない一事とされている。
また東洋一を誇る水銀の野村鉱業イトムカ鉱業所も、森林鉄道が延長されるに従って発見されたものである。
この鉱業所に多くの従業員が入るに及んで、道路も完備されないので、この林鉄が人員や物資の輸送に大活躍したのも想い出の一つ。
また鉱業所を訪れる商人や、その他関係ない者には、鉱業所で切符を発行して、料金を徴収し、輸送したのもつい先き頃の話であったこともなつかしい。
また昭和29年の、管内約900万石に及ぶ大風倒で、温根湯森林鉄道沿線も大被害を受け、石北国境の地理的条件から、ここの林鉄が国境を越えて敷設され、層雲峡経営区から年間15万石も、留辺蕊署へ輸送した。
これ程活躍した林鉄も、遂に昭和35年廃止となった。
「森林鉄道」より
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