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「青森ヒバ」とは

日本特有の針葉樹高木。  

樹高30m、直径80cmに達する。

 

hibatoha

 

ヒバ(アスナロ、ヒノキアスナロ)

    1901年(明治34年)本多静六(日本で最初の林学博士)が、従来のアスナロと青森県のアスナロとの間に違いがあることを発見し、牧野富太郎がアスナロ属の中に、アスナロの一変種「ヒノキアスナロ」として命名しました。

     アスナロは青森県内真部山国有林を北限とし、木曽地方を中心に九州鹿児島県に掛けて分布。ヒノキアスナロはアスナロの変種とされ、青森県を中心に北海道南部から関東北部に掛けて分布しています。

     一般には双方とも「ヒバ」と呼ばれ、アスナロが南方系のヒバ、ヒノキアスナロが北方系のヒバとされています。なお、青森県内に生育しているヒバは「青森ヒバ」と呼ばれており、 青森県では昭和41年に県の木に指定し、県民に親しまれています。

 

学名は

・アスナロ(ヒノキ科アスナロ属)

  Thujopsis dolaburata SIEBOLD et ZUCCARINI

 (ツヨプシス・ドラブラータ、シーボルト・エト・ツツカリーニ)

・ヒノキアスナロ(アスナロの変種)

Thujopsis dolaburata SIEBOLD et ZUCCARINI var.hondai MAKINO

 (ツヨプシス・ドラブラータ、シーボルト・エト・ツツカリーニ、ヴアル・ホンダイ・マキノ) 

 

ヒノキアスナロの分布

     「ヒノキアスナロ」は北海道渡島半島を北限とし、栃木県日光湯ノ湖付近を南限に分布していますが、青森県内では主に下北半島と津軽半島に集中しています。

    北陸の能登地方を中心に、アテ(ヒノキアスナロ)の造林技術が確立され広く植林されており、石川県の県木に指定されています。輪島塗漆器の木地に使用されていることで有名です。

 

 由来

     アスナロ属の木は、古い時代は「アテ(貴)」あるいは「アテヒ(貴檜)」と呼ばれていました。その後、アテヒが転化して「アスヒ(阿須檜)」になり、一説にはアスハヒノキ、アスハヒノキニナロウ、アスナロと変化したといわれています。また、葉のボリューム感から、「アツハヒノキ(厚葉檜)」から転じたとの説もあります。

    北方系のヒバ(ヒノキアスナロ)は、古くから社寺仏閣などの建築材料として珍重され、約890年前にヒバで立てられた、平泉の「中尊寺金色堂」は今なおその姿を残しています。

    津軽藩や南部藩の古文書では、「青森ヒバ」は「檜」と記され、木曽のものは「上方檜」として区別していました。いつ頃から「ヒバ」という名前になったのかは、はっきりしませんが、宝暦7年(1757年)松平秀幸が書いた「吉蘇志」の中に、木曽5木のアスナロの別名として「ヒバ」が登場しています。また、嘉永七年(1854年)富田禮彦が取材した飛騨地方の運材図会の中にも「木屠(ヒバ) 」という文字があります。

    ヒノキアスナロを指す方言は40種以上あり、明治の末、林業関係者が「ヒバ」と統一するようになって、ようやくその名は定着しました。 

 

 系譜

     植物生態学者の山中三男教授が東北大学に在職中、青森県下北郡東通村尻屋の泥炭地から、約2万5千年まえのヒノキ科の花粉 (化石)を発見しました。山中教授は「現在のヒバの分布状況から見てこのヒノキ科の花粉はヒバに由来している」としています。昔は青森県一帯が「青森ヒバ」の大原生林だったのかもしれません。

    「青森ヒバ」の祖先が誕生したのは、今から約百万年ぐらい前といわれています。その頃の地球は氷河期と間氷期を繰り返していて、科学的データから、うっそうとした針葉樹林の構成樹種として存在していたことが推測されます。

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