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近畿中国森林管理局

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    オランダ堰堤(えんてい)

     

    オランダ堰堤

     通称「オランダ堰堤」は、草津川の上流にあたる大津市上田上(かみたなかみ)桐生(きりゅう)にあって、その一端が一丈野国有林にかかります。この堰堤は、築造以来110年余の年月に耐え、砂を貯める機能を現役で果たしています。オランダ堰堤

     大津市の田上(たなかみ)や栗東(りっとう)市の金勝(こんぜ)の山々は、古く藤原京の造営用材としてここからヒノキ材を採取したとの記録が残っているほど、人とのかかわりの歴史の古い山々です。その後、江戸時代には燃料や灯り用として小柴や松の根までが採取され、その結果「田上の禿(はげ)」として全国的に知られたはげ山地帯となりました。山から大量の土砂が流れ出し、水害に苦しんだ地元では、江戸時代に集落をあげて移転せざるを得なかったほどでした。

     明治になってから、本格的な各種の山腹工事と樹木の植栽が行われ、現在では緑の森林が回復しています。この堰堤もそれらの工事の一つとして、流れ出す土砂をせき止め、川床を安定させる目的で築造されたものです。

    オランダ堰堤の上部石組み

    オランダ堰堤の上部石組み

     堰堤の構造をみますと、長さは34メートル、ただ、左岸にある林道の路面に堰堤の石らしきものが見えていて、林道敷の下部まで堰堤が延びているとすると、長さ37.6メートルとなります。高さは、基部が水面下で確認できませんが、推定で約7メートルです。

     下流側がアーチ形に石積みされているので、堰堤の幅は均一ではありません。最短幅は中央よりやや右岸側に寄っていて5.7メートル、最長幅は右岸側袖端で7.9メートルです。左岸袖端は土砂が堆積していますので、幅を確認できません。

     下流側には、30~35cm×40~60cm×120~130cm程度の花崗岩の切石を階段状に積み上げてあります。階段状の石積みは、越流水の勢いを和らげ、水叩(たたき)部の洗掘を防止する効果があると思われます。
    上流側は、土砂が堆積していますので、構造はよく分かりません。また、堤の内部構造もよく分かりませんが、粘土を叩き固めて造られていると推定されます。

     本堰堤の約100メートル下流に副堰堤があります。副堰堤は長さが約34メートル、高さ1.4メートルです。この堰堤は改修されたことが分かります。以前はもっと高低差があったものと推定されます。

     この堰堤が「オランダ堰堤」とよばれる理由は、明治時代に来日したオランダ人技術者デレーケが堰堤築造の指導を行ったと考えられているからです。

     明治政府は、国の近代化を図るにあたって、欧米諸国から先進技術の導入を図りましたが、土木技術については、ヨハネス・デレーケ等のオランダ人土木技術者を招聘し、技術の吸収に努めました。オランダから技術者が招聘された理由は、当時の砂防工事の目的が、水害を防ぐこと以上に淀川など河川の水運航路の維持に重点が置かれていて、彼らがこの種の低水工事を得意としていたからです。当時の物流は水運による部分が大きかったのです。

    副堰堤

     デレーケと滋賀県との関係ですが、明治6年11月12日にエスヘルとともに湖水と宇治川筋見分のために、また明治11年12月10日には土砂止工事実地検査のために滋賀へ来県したという記録が残っています。さらに、堰堤の設計者である田辺義三郎(安政5年~明治22年)とともに、明治17年には琵琶湖疎水工事の審査を行っています。ただ、この堰堤の設計に関するデレーケの指導という点はよく分かりません。副堰堤

     堰堤を設計した田辺義三郎は、明治18年に草津川水源に出張しています。明治20年から亡くなる明治22年まで、大阪にあった第四区土木監督署の巡視長でした。内務省直轄河川改修工事や府県の土木工事などの計画を業務としていたようです。

     堰堤の完成年に関しては諸説があります。

    「明治大正日本砂防工事々績ニ徴スル工法論」草津川流域の項には、「明治二十一年ニ施行セル面一尺角長三尺ノ花崗岩ニテ直高二間馬踏四間長十五間表法七分ニ鎧形ニ築造セル拱状堰堤ハ多量ノ土砂ヲ抱留シ明治年間ノ堰堤トシテ好資料タリ、施工ノ結果上流ニテ川床ノ低下五尺ニ及ビ下流部ノ上述セシ隧道ハ上部張石露出スルニ至ラス」とあります。現況とは寸法・形状が一致しない部分もありますが、この資料によれば完成は明治21年と考えられます。

     また、「日本の産業遺産300選3」には、「本体の完成年は明治22年頃と考えられる」との記載があります。さらに、「日本砂防史」には、「この時期の代表的な構造物は、大戸川支川天神川の鎧ダムおよび明治15年(1882)につくられた草津川上流のオランダ堰堤である。これらはいずれも明治22年(1889)に完成していてデレーケの指導によるものとされているが、設計者は田辺義三郎技師と記録されている」とあります。

    鎧ダム

    鎧ダム

     このオランダ堰堤は平成元年に「日本の産業遺産300選」に選ばれました。また、田上砂防工事の記念碑的存在であるとして、昭和63年に大津市の史跡に指定されました。

     大津市田上森町には同種の工法で同時期に完成した「鎧ダム」もあります。








    [参考資料]

    • 畑和太郎「ヨハ・デレーケ氏の切石積堰堤に思う」(「治山」昭和47年10月号)
    • 滋賀県史編さん室編「滋賀県年表」(昭和61年滋賀県)
    • 赤木正雄「明治大正日本砂防工事々績ニ徴スル工法論」(復刻版昭和49年5月25日(社)全国治水砂防協会)
    • 産業考古学会ほか編「日本の産業遺産300選3」(平成6年5月25日同文館出版)
    • 全国治水砂防協会編「日本砂防史」(昭和56年6月15日全国治水砂防協会)
    • 村上康蔵「オランダ堰堤について」(「民俗文化」第319号滋賀民俗学会)
    • 村上康蔵「オランダ堰堤の設計者田辺義三郎について」(「民俗文化」第321号滋賀民俗学会)

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    滋賀森林管理署

    〒520-2134
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