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林野庁

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明治期の治山事業について

○日本の森林荒廃の歴史

  日本の森林は、薪炭材や建築用材等の生活に必要な資源として古来より利用されてきました。しかし、需要量の増大とともに伐採量が増えたことで、江戸時代にはかなり劣化・荒廃が進み、さらに明治期に入ると、急激な人口の増加や産業の発達などから荒廃はいっそう進行しました。それらの荒廃は、資源の枯渇や災害の頻発などの深刻な事態を招きました。そういった経緯があり、今では保安林制度治山事業などを通じて適切に維持されるようになったのです。

 

 

 
資料提供:兵庫県(出典:「六甲山災害史」一般社団法人兵庫県治山林道協会(1998))

 

 

○明治政府の動きと治水三法の成立

  森林の荒廃が深刻化する中、明治29年に起こった大水害を契機として明治30年に政府は「森林法」を制定し、保安林制度の創設等によって森林の伐採が本格的に規制されることになりました。さらに、明治44年より「第1期治山事業」が始まり、近代的工法を取り入れた計画的な治山事業が本格的に実施されるようになりました。ちなみに、同時期に成立した森林法、河川法、砂防法をまとめて治水三法といい、以降現代まで日本の国土保全政策の根幹をなす法律となっています。

 

大雨で堤防が決壊した湊川(明治29年)
大雨で堤防が決壊した湊川(明治29年)(PDF : 153KB)

 
資料提供:兵庫県(出典:「六甲山災害史」一般社団法人兵庫県治山林道協会(1998))

 

 

○明治期の治山技術発展の歴史

  苗木の植栽や工作物の設置など、規制以外の方法による積極的な治山対策は、徳川時代より始まったと言われています。それが明治期に入ると、近代化の過程で外国の治山技術を積極的に取り入れるようになり、その内容を充実させていきました。特に、デレーケやホフマンといった外国人指導者が日本の治山対策の発展のために果たした役割は大きいものでした。

 

昔の治山工事竣工図(兵庫県)
治山工事竣工図(明治中期)(PDF : 123KB)
資料提供:近畿中国森林管理局
 山腹工事設計図(明治45年)
渓流工事設計図(明治45年)(PDF : 44KB)
資料提供:愛知県森林保全課

 

渓流工事設計図(明治45年)
山腹工事設計図(明治45年)(PDF : 899KB)
資料提供:愛知県森林保全課

 

 

 

○明治期の治山事業の事例

1.田上山(たなかみやま)の治山事業(明治期)

  滋賀県南部に位置する田上山では、かつて強度に伐採が行われ、江戸時代には「田上の禿(はげ)」と呼ばれるほど荒廃が進行していました。しかし、明治時代から苗木の植栽を主とした治山工事が行われ、現在では緑が蘇りました。

 

田上山の位置図
田上山の位置図(滋賀県大津市、栗東市)

 

 
資料提供:近畿中国森林管理局

 

 

2.ホフマン工事(明治38年)

  かつて三大はげ山県の一つとして数えられるほど荒廃が進行していた愛知県では、明治38年、愛知県瀬戸町字印所(あざいんぞ)(現瀬戸市東印所町)において、イタリア人のアメリゴ・ホフマン氏の指導の下、これまでにない工法で土堰堤5基、柳柵工45箇所が整備されました。この工事は「ホフマン工事」とよばれ、日本における治山の先駆的な工事としてその後の治山技術の発展に大きく寄与しました。

 

 

アメリゴ・ホフマン氏
アメリゴ・ホフマン氏
愛知地図
愛知県瀬戸町字印所(あざいんぞ)

 

 

 

ホフマン工事設計図(瀬戸町砂防工事)
ホフマン工事設計図(平面図)(PDF : 56KB)

 
資料提供:愛知県森林保全課

 

 

3.第1期森林治水事業の開始と三ツ澤(みつさわ)治山堰堤(明治44年)

  明治40年、43年に立て続けに起こった激甚な台風災害による被害を受け、山梨県は、全国に先駆けて荒廃地の復旧に取り組みました。山梨県東八代郡竹野原村(現笛吹市)では、明治44年に明治政府が策定した「第1期森林治水事業」の一環として、治山堰堤1基、山腹工0.43haなどが施工されましたが、それらは100年以上経過した今でも周辺林地の保全に役立っています。

 

 

三ツ澤治山堰堤の位置図 (山梨県笛吹市)
三ツ澤治山堰堤の位置図 (山梨県笛吹市)

 

 山梨県追加(治山堰堤構造図)三ツ澤
三ツ澤治山堰堤(構造図)(PDF : 24KB)

 
資料提供:山梨県治山林道課

 

 

4.加賀海岸国有林の海岸防災林造成事業(明治44年~)

  石川県加賀市の加賀海岸では、明治時代には暴風による飛砂被害が深刻化していました。そこで、明治44年に石川県知事の要請を受け、国による海岸砂防事業として森林の造成が開始され、飛砂、潮風害で困難を極める中、14年の歳月をかけて、291ha、林帯幅約0.6km、延長約3.0kmの林帯が整備され、今日まで飛砂害などから人々の暮らしを守っています。

 

 

 

 
資料提供:近畿中国森林管理局

 

 

5.東京都の水道水源林(明治34年~)

  多摩川上流域一帯の森林は、東京近郊の人々にとって重要な水の供給地です。しかし、明治期には山火事や自然災害の発生などによる森林の荒廃、人口の急増などにより水資源の不足が懸念されていました。そこで当時の東京府は、明治34年より多摩川上流域の山梨県下および府下の御料林を譲り受けるとともに、森林の積極的な買い入れを行い、府自らが管理主体となって水源林の育成に努めました。その結果、豊かな森林を再生させ、水源を守ることに成功したのです。

 

 現在の笠取山
現在の笠取山(平成27年)(PDF : 356KB)
資料提供:東京都水道局水源管理事務所

 

はげ山化した笠取山(大正末期)
施工後10年目のハビロ沢(大正14年)(PDF : 792KB)
資料提供:東京都水道歴史館

 

  

参考リンク

後世に伝えるべき治山 ~よみがえる緑~



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