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ホーム > 森林・林業白書 > 平成25年度 森林・林業白書(平成26年5月30日公表) > 平成25年度 森林・林業白書 全文(HTML版) > 第1部 第I章 第2節 我が国の森林整備を巡る歴史(1)


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第1部 第I章 第2節 我が国の森林整備を巡る歴史(1)


我が国では、過去に過剰な伐採による森林の荒廃を経験したものの、伐採跡地等への植栽、保育、間伐等の森林整備の努力により、その回復を図ってきた。戦後の森林整備は、主な施業が植栽、保育、間伐と変遷する中で、森林に対する国民の要請は内外の情勢の変化の中で多様化してきた。

以下では、我が国の森林整備を巡る歴史について、森林に対する国民の要請と森林整備の課題の変遷に焦点を当てながら記述する。

(1)戦前までの森林整備等の状況

(江戸時代まで)

我が国では、古来、森林資源を建築用材、薪炭等の燃料、農業用の肥料、家畜の餌等として利用してきた。これに対し、森林整備の取組は、造林の記録が断片的に残ってはいるが、その多くは川岸や海岸を守るためのものや、建物、街道、村落の周辺の防風や美観のためのものであった。

江戸時代を迎える頃になると、人口の集中した江戸や大坂等の大都市で城郭や寺院をはじめとする建築用の木材需要が増大したこと等から、全国各地で生活用、農業用、建築用等のための森林伐採が盛んに行われるようになり、森林資源の枯渇や災害の発生が深刻化するようになった。

このため、幕府や各藩によって、森林の伐採を禁じる「留山(とめやま)」が定められるなど、森林を保全するための規制が強化されたが、あわせて、公益的機能の回復を目的とした造林も推進されるようになった。寛文6(1666)年に幕府が発出した「諸国山川掟(しょこくさんせんおきて)」では、森林開発の抑制とともに、「川上左右之山方木立無之所ニハ、当春ヨリ木苗ヲ植付、土砂不流落様可仕事(川上の左右の山で木立ちのないところには、今年の春より苗木を植えて、土砂の流出が起きないようにすること)」として、河川流域の造林を奨励している。また、林政に関する優れた論者も現れ、治山治水の考えに基づく土砂流出防止林や、水源涵(かん)養林、防風林、海岸防砂林等が各地で造成された。

また、大都市等での需要に応じ、木材生産を目的とする造林も行われるようになった。大都市に近く河川での流送の便が良い地域では、造林を伴う本格的な民間林業が発達し、現在に至る林業地が形成された。東北、九州等の一部の地域では、藩が主導的に木材生産と造林を推進し、その中で、藩と造林者(地元農民等)が立木の販売収益を分け合う分収林制度も生まれた。造林されたのは主にスギ・ヒノキであり、その育苗、植栽、保育等の技術開発及び普及が進んだ。


コラム 「国の宝は山也。山の衰えは則ち国の衰えなり。」(江戸時代の林政論)

江戸時代には、森林の荒廃による森林資源の枯渇や洪水等の深刻化を受け、領主階級のための「林政論」が唱えられ、実際の政策にも大きな影響を与えた。

江戸時代初期の秋田藩家老渋江(政光(しぶえまさみつ)は、その遺訓で「国の宝は山也。然れ共伐り尽くす時は用に立たず。尽さざる以前に備えを立つるべし。山の衰えは則ち国の衰えなり。」と記すなど、森林保続の重要性をいち早く主張した。こうした考え方から、秋田藩では比較的早い時期に留山(とめやま)制度を導入した。

また、岡山藩に仕えた儒学者の熊沢蕃山(くまざわばんざん)は、「山川は国の本(もと)なり。」「山は木あるときは、神気さかんなり。木なきときは、神気おとろへて、雲雨ををこすべきちからすくなし。」「木草しげき山は(中略)洪水の憂いなし。山に草木なければ(中略)洪水の憂いあり。」と記すなど、森林の荒廃への対策として伐木の停止、造林、計画的な伐採を説いた。こうした治山治水論に基づき、主に西日本で土砂流出を防ぐ林、東北諸藩で水源涵(かん)養林が設定された。

一方、儒学者の山鹿素行(やまがそこう)は、領主が山林管理体制を確立して計画的に造林や伐採をすれば、山林は藩財政に寄与すると主張した。素行の林政論は、尾張藩木曾(きそ)や弘前(ひろさき)藩等の林政に影響を与えた。

さらに、森林を区分して順番に伐採して回復を図る「輪伐」や、伐採に際して未成熟な樹木や稚樹は残して天然更新にあてる「択伐」といった考え方が提唱され、18世紀になると単純な禁伐に替わる方法として各地で実施された。

これらは、森林の水源涵養機能、山地災害防止機能/土壌保全機能、木材等生産機能等を重視して、その持続的な発揮のために森林の整備及び保全を図るべきとする考え方や政策であり、我が国の森林・林業政策の源流であると言える。

資料:徳川林政史研究所 (2012) 森林の江戸学,?東京堂出版

(明治維新から戦前まで)

明治時代になると、我が国は急速に西欧の文明を取り入れ、近代化を進めた。木材の利用についても、建築用はもちろん、工事の足場や杭、鉱山の坑木、電柱、鉄道の枕木、貨物の梱(こん)包、造船材料、桟橋等の各種装置及び施設、紙に加工されるパルプの原料等、近代産業の発展に伴って様々な用途に木材が使われるようになった。これに伴い、国内各地で森林伐採が盛んに行われたため、森林の荒廃は再び深刻化し、災害が多発した。

明治政府は、明治9(1876)年から林野の官民有区分(*9)を実施し、我が国の森林への近代的所有権の導入が進められる一方、森林の保全のための対策については、当初は十分に講じられなかった。その後、明治30(1897)年に「森林法(*10)」を制定し、保安林制度の創設等によって、森林の伐採が本格的に規制されることになった。

森林整備については、国有林において、明治32(1899)年から大正11(1922)年までの「国有林野特別経営事業」では、国有林野を払い下げた費用により無立木状態の荒廃地への植栽等が積極的に行われた。公有林においては、大正9(1920)年から「公有林野官行造林事業」が開始され、国が市町村との分収林契約に基づき森林整備を実施した。

一方、私有林においては、明治20年代から先進林業地を模範とした林業技術の改良・導入の意欲が高まっていたが、特に日清・日露戦争後は、木材需要の増大を背景に各地で林業生産が盛んとなり、新たな林業地も生まれ、天然林の伐採とともに木材の再生産を目的とした植栽が行われた。明治40(1907)年には政府により「植樹奨励事業」が開始され、植樹造林一般が奨励されたが、当時補助対象となったのはクスノキほか8種の特用樹種のみであった。その後、昭和4(1929)年には「造林奨励規則」が制定され、民有の無立木地への植栽に補助金が支出されるようになった。

また、明治44(1911)年からは、「第1期森林治水事業」が開始され、荒廃地を復旧し、再生するための取組が計画的に行われるようになった。

大正8(1919)年には「樹苗育成奨励規則」が制定され、府県及び民間の樹苗養成に補助金が支出されるようになった。


コラム 先人たちの森林整備とその遺産

コラム 先人たちの森林整備とその遺産
天竜美林
コラム 先人たちの森林整備とその遺産
庄内海岸林

我が国の森林整備は、国や地方の政策及び事業として行われる場合や民間林業によって行われる場合が多いが、過去には先人たちが公益を実現するために私財を投じて森林の造成を行った例も多くみられた。

例えば、日本海沿岸の庄内(しょうない)海岸(山形県)は、かつては草木が生えない荒れた砂丘地であり、北西の季節風による飛砂が、町や村や田畑に大きな被害を与えていたが、江戸時代に酒田(さかた)の豪商本間光丘(ほんまみつおか)らは、長い年月と膨大な労力を費やし、こうした厳しい環境でも育つクロマツ林の造成を行った。戦後の混乱の中で一時は荒廃したが、その後は林野庁によって造林が進められ、現在は市民のボランティア活動による協力も得ながら管理されている。

能代(のしろ)海岸(秋田県)でも飛砂の害が深刻であったが、能代の町人越後屋太郎右衛門(えちごやえたろううもん)によってクロマツの植栽が始められ、その後も秋田藩士栗田定之丞(くりたさだのじょう)が農民の協力を得て植栽を行うなどの取組が進められた結果、現在は「風の松原」と呼ばれる我が国最大級の松原となっている。

明治に入ってからは、天竜(てんりゅう)川流域(静岡県)の造林に取り組んだ金原明善(きんばらめいぜん)が有名である。当時の天竜川は、大雨が降れば山々からの水が集まって濁流となり、静岡県の平野部で氾濫を繰り返す「暴れ天竜」として恐れられていた。天竜川下流域の名主の家に生まれた明善は、まず天竜川の治水工事に取り組んだが、その後、天竜川流域の山々が荒れているのを見て、川の氾濫を治めるためには健全な森林が必要であると考え、流域の山間部で造林事業に取り組んだ。この事業を契機に、天竜川流域各地で急速にスギ、ヒノキの人工造林が進められた結果、現在では「天竜美林」と称される森林が育成され、公益的機能を発揮するとともに、これらの森林を基盤として天竜林業地が形成されている。



(*9)山林原野等官民所有区分処分方法(明治9年1月29日 地租改正事務局議定)

(*10)当時の「森林法」は、「総則」、「営林ノ監督」、「保安林」、「森林警察」、「罰則」、「雑則」の6章から成っていた。「営林ノ監督」では、荒廃のおそれ等があるとき営林の方法を指定することができた。「保安林」では、9種類の保安林を規定した。「森林警察」では、素材生産業者等に、林産物に使用する記号印章の所轄警察署への届出義務等を規定した。



お問い合わせ先

林政部企画課年次報告班
代表:03-3502-8111(内線6061)
ダイヤルイン:03-6744-2219
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