ホーム > 森もり!スクエア > 各地からの便り > 平成27年度第2回北方四島交流訪問事業


ここから本文です。

 

 各地からの便り

 平成27年度第2回北方四島交流訪問事業

【北海道森林管理局


択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島から成る北方四島は我が国固有の領土ですが、今もなおロシアによる不法占拠が続いており、北方領土問題が存在するため、日露間では、いまだに平和条約が締結されていません。

このような状況下で、日本国民がロシア発給するビザを取得して北方四島に入域(入国でなく、入域といいます)することは、ロシアの管轄権に服した行為にあたり、日本の法的立場を害するおそれがあるため、政府は北方領土問題の解決までの間、日本国民による北方領土訪問について自粛を求めています。

このような状況の中で、日ソ両国外相間の往復書簡により「領土問題の解決を含む日ソ間の平和条約締結問題が解決されるまでの間、相互理解の増進を図り、もってそのような問題の解決に寄与することを目的として、かつ、いずれの一方の側の法的立場をも害するものとみなしてはならない」との共通理解の下に、我が国国民の北方領土への訪問は、旅券・査証なしで行う。」こと等を内容とする新しい枠組が作られ「北方四島交流事業」が実施されています。

今回、北方領土返還運動関係者が北方四島を訪問し、北方四島在住のロシア人と交流すること、相互理解を深めることにより北方領土問題の解決に向けてより一層の環境づくりを図ることを目的に、平成27年8月6日(木曜日)から8月10日(月曜日)に北方四島交流訪問事業に参加し、北方四島の色丹島を訪れる機会を得ましたので、概要を報告します。

色丹島

色丹島

8月6日(木曜日)

根室市にある、北海道立北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)にて、結団式及び研修会を行いました。

今回の北方四島交流訪問事業には、団長(元島民2世)をはじめ、国会議員、北海道議会議員、元島民、元島民(2世、3世)、ロシア人との住民交流会で、合気道体験を行う札幌国際合気道会、内閣府、外務省、北海道庁、報道機関、医師、北方領土返還運動関係者の総勢61名の訪問団です。

結団式及び研修会

結団式では、決意表明や団員の紹介があり、研修会では訪問中の留意事項、ロシア語講座を受けました。

 

今回覚えたロシア語

  • ズドラーストヴィチェ(こんにちは)
  • オーチン プリヤートナ(はじめまして)
  • スパシーバ(ありがとう)

8月7日(金曜日) 

えとぴりか

北方四島交流訪問事業用の「えとぴりか」号です。

エトピリカは、根室半島や北方四島の海域等に生息する海鳥で、オレンジ色のくちばしに、頭からたれ下がるクリーム色の飾り羽を持ち、真っ白な顔をした美しい鳥です。
“ふるさと(北方四島)”と日本本土を自由に行き来するエトピリカの美しい姿は、ビザなし交流による相互訪問や元島民等の熱い思いあふれる自由訪問のイメージと重なり、北方四島交流等事業に使用する船舶の船名としてふさわしいことから、その名がつけられました。

 

見送り

朝、9時30分、根室港琴平側岸壁より出港です。

出港にあたり、根室市長をはじめ、多くの方々からの見送りをいただきました。

いよいよ出発

いよいよ出港です。

海上保安庁巡視船

海上保安庁の船がロシアが実行支配する海域の
中間点まで、同行してくれます。
「えとぴりか」の船内です
食堂

こちらが、食堂です。

訪問期間中の食事やオリエンテーションとして使用されます。
ちなみに、朝食は6時、昼食は11時、夕食は4時です。

ベッド

こちらが寝泊まりする部屋になります。

6畳くらいの広さでしょうか。

1室4名で使用します。身体の大きい方には少々狭いようです。

テレビはありません。

入浴場

浴室2

こちらがお風呂になります。

浴槽には大人4~5名が入浴可能です。

他にもシャワー室が6個あります。

出港から約1時間後、中間点を越えるとロシア海域に入ります。

 国後島古釜布沖

国後島古釜沖からの国後島

日本本土と北方四島では、時差があります。
四島側が1時間早く、携帯を確認するとロシアの電波を掴んだのでしょうか自動で1時間進んでいました。
しかし、今回の行程、連絡事項等はすべて日本時間となっており、今後の時間表示は日本時間となります。 

13時00分、国後島古釜布(ふるかまっぷ)沖に到着。
ここで、入域手続きを行います。
ロシアの担当官により、事前に提出した書類による本人確認が行われました。
入域手続きが終わると、いよいよ色丹島に向け出発です。 

 

オリエンテーション

(左)得能氏、(右)杉田氏

色丹島に向かう船内では、昨年公開されたアニメ映画「ジョバンニの島」が上演されました。
この映画は、宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」をモチーフとした、実話をもとにした作品で、太平洋戦争末期から終戦直後の色丹島を舞台に、ソ連の占領に伴い激変した島民の暮らしをとある家族の視点で描いた作品です。
今回の訪問団員の中に、この作品の主人公、純平のモデルとなった元島民の得能(とくのう)氏と、作品の脚本・原作をされた杉田(すぎた)氏も参加されておりました。
得能(とくのう)氏からは、当時、ソ連侵攻時の体験や作品への思いなどいろいろな解説をいただきました。

20時00分頃、色丹島穴澗(あなま)沖に到着。 

8月8日(土曜日)

 8時20分、色丹島穴澗(あなま)港より上陸。

 色丹島穴澗港 いよいよ、色丹島に上陸します。
静かで、何にかさみしい港に感じます。
近くには水産加工場がありますが、ロシアでは土、日曜は休みのため、人影がないのでそう感じたのかもしれません。

 

色丹島はこんなところ
色丹島の面積は、約2.5千ヘクタール。
島には、穴澗(あなま)と斜古丹(しゃこたん)の2つの集落があります。
現在の人口は、約2,900人。終戦時は1,038人だったようです。
島全体が緑に覆われ、なだらかな丘陵となっています。
林相は、広葉樹ではダケカンバ・ミヤマハンノキ・ヤナギ、針葉樹ではトドマツ・エゾマツが確認できました。

昭和34年に林野庁帯広営林局が発行した「千島森林誌」によると、「島の面積の約9割が国有林だったが、古くから開け、重なる山火事のため8割が未立木地で、沢沿いその他地形風向のため山火事をまぬかれた地帯に小群落の散生林があるにすぎず、森林面積は2割」との記述がありました。

実際、山の上部は未立木地が目立ち、風が強い地域のためか林木の形成、成長が悪いようで、森林的価値から見ればきわめて低いと思われます。
現在は島の大部分が自然保護区に設定されているようで、厳格に保護がなされています。
ちなみに、色丹島にはクマやシカ、ヘビはいません。キツネはいるようです。

穴澗湾からの色丹島の風景

穴澗湾からの色丹島の風景

穴澗(あなま)市街地からの風景

 穴澗市街地からの風景

道路

島の道路のほとんどが舗装されていません

日本製中古車

島で走っている車の大半は日本製中古車です

住宅

斜古丹地区の住宅

色丹島の住宅は、一戸建てと集合住宅があり、
ブロック造りや木造住宅が多いです。

元々は、海岸沿いにあったのですが、1994年の
北海道東方沖地震で住宅が壊れ、現在は高台
の方に移動しています。

斜古丹地区のメインストリート

斜古丹市街のメインストリート

色丹島斜古丹(しゃこたん)市街のメインストリートです。
写真右の建物が、商店です。
食料品、衣類、薬局、生活雑貨等が入っています。
商品の中には、日本製の食料品や薬品、
たばこ等もありました。

 

 

8時30分、 上陸後、穴澗(あなま)文化会館に移動して、表敬・歓迎式が行われました。
穴澗(あなま)村長より、「 お友達であり、隣人であるみなさまをお迎えできてうれしく思います。今回の滞在がうまくいくことを期待しています。」と挨拶がありました。

穴澗文化会館

穴澗文化会館 

表敬・歓迎式

表敬・歓迎式

穴澗小中学校を視察します。ロシアは小中高一貫11年生で、就学は7歳からとなり義務教育は9年までで、10年以上は進級試験が実施され、11年就学後に大学受験の資格が与えられます。
6月から8月までは長期の休みで、9月から新学期がはじまるということで、生徒はいませんが、教頭先生が学校内を案内してくれました。
休み中の子ども達は、ロシア本土に行ったり、各地に旅行に行ったりしてこの時期、島にはあまりいないとのことです。

穴澗小中学校

穴澗小中学校

教室の様子

教室は科目毎に移動するようです

穴澗の病院

穴澗病院

次に穴澗(あなま)の病院です。
昨年12月に完成したばかりの病院です。
近代的な設備を備えているとのことです。
ベット数25床、1日の外来者50名対応可能。
泌尿器科以外の診察が出来るようです。
穴澗(あなま)文化会館向かいの、
小高い丘のうえにあります。

昼食

色丹島での昼食

 

午前の視察が終わり、11時に昼食です。
(島では12時です。)

色丹島でのはじめての食事です。
サラダとパンとミックスジュースが準備してありました。
これだけかと思いきや、このあとボルシチとパスタがでて、
おいしくいただきました。
サラダは前菜として以後の食事には必ずでていました。

 

午後からは、ホームビジットです。

北方四島在住ロシア人の家庭を訪問し、昼食等を共にしながら、身近な話題で交流する北方四島交流訪問事業の重要なプログラムのひとつです。

ホームビジット

ホームビジット

私が訪問したのは、カフェを営んでいる
マドンナさんのお宅です。(写真左から3人目の女性)

マドンナさんは、グルジア出身とのことで、
主に春から秋にかけて島で生活しているとのことでした。
ホームビジットは、通常5~6名で家庭に訪問するのですが、
私達のグループは27名の大人数での訪問となりました。

カフェに到着するとテーブルには、マドンナさん手作りの
クッキーや、ブリヌイ(クレープのようなもの)、ロールケーキなど、
たくさんの食べ物でもてなしていただきました。

 

ホームビジット終了後、色丹島南岸の景勝地、イネモシリにある日本人墓地に向かいました。
イネモシリは草原と丘しかない地で、過去に日本人が住んでいたと聞き、正直驚きです。
到着すると傾斜地にある日本人墓地に、一同、黙祷を捧げました。
戦前は墓石が多数存在していたようですが、ソ連軍侵攻後、ロシア人の住居を造るための土台に使われたらしく、現在2基。
残っているのは奇跡にちかいとのことでした。

そこからイネモシリの海岸まで歩いて移動です。
イネモシリの海岸は、色丹島の美しい景観がすべて詰まったような場所でした。
在住ロシア人もよく海水浴やバーベキューをしに、出かける美しい海岸です。

イネモシリでの墓参が終了し、色丹島1日目が終了です。 

日本人墓地

 イネモシリの日本人墓地

イネモシリ海岸

イネモシリ海岸の風景

8月9日(日曜日)

色丹島2日目は、斜古丹(しゃこたん)にある斜古丹(しゃこたん)墓地に墓参です。
囲われた日本人墓地の歩道を挟んですぐとなりにロシア人墓地もあります。 
こちらは、民家の近くにあるせいか草刈りなどが行われており整備がされていますが、昨日墓参したイネモシリ墓地のように墓石がほとんど残っていません。
日本人墓地の中には、聖教に帰依したクリル人(アイヌ人)の酋長の墓も見受けられました。  

斜古丹日本人墓地

斜古丹の日本人墓地

ロシア人墓地

ロシア人墓地

 

墓参を終え、次に、斜古丹(しゃこたん)の各施設の見学です。

まず、島の教会「ロシア正教会」です。斜古丹湾を一望できる丘に建っています。
残念ながら、神父さんは10月まで不在とのことでしたが、教会の中は自由に見ることができました。 

ロシア正教会

ロシア正教会

教会の中の様子

教会の中の様子

ラマーシカ幼稚園

ラマーシカ幼稚園

ラマーシカ幼稚園

建物は平成22年に完成し、平成23年に開園、
現在100名の園児が通っているようですが、
まだ、140名程の待機児童がいるとのことで、
この幼稚園のすぐ近くに現在建設中
(完成予定が平成28年3月)の施設が完成すれば
待機児童も解消できるのではとのことでした。

 

製缶工場

製缶工場

製缶工場です。

缶詰の缶を製造しています。
こちらでは20人の方々が働いています。
製造機器は、ドイツ製のもので、
毎分800缶の製造が可能とのことです。

 

斜古丹(しゃこたん)での見学が終了し、穴澗(あなま)に移動し、昼食です。

午後から、今回の北方四島交流訪問事業におけるメイン行事の住民交流会です。
四島在住ロシア人に、日本や日本人に対する認識を深めてもらうとともに、お互いの文化などを学び親近感を深める機会です。

今回は、合気道国際平和文化交流倶楽部の方々による、演武の披露と合気道体験を行いました。
訪問団員や四島在住ロシア人の多くが、実際に合気道を見るのがはじめてと言う人が多く、みな興味深く見入っていました。 

合気道

演武の披露

合気道の体験

合気道を体験する子どもたち

 

色丹島での2日間の訪問を通しての、最後の公式行事「夕食交流会」です。

色丹島でお世話になった島民の方々をお招きし、最後の晩餐を行いました。
冒頭に穴澗村の村長さんと訪問団長より挨拶があったあと、テーブルを囲んで食事やお酒を楽しみました。
公式行事を無事終え、ホッとしたのか団員一同、ロシアダンスを踊ったり、ゲームをやったりしておおもりあがり。 

穴澗村長

穴澗村長

夕食交流会

夕食交流会の様子

 

楽しい時間もアッという間に過ぎ、いよいよ色丹島を離れる時がやって参りました。

港には、今回お世話になった島民の方々が見送りに来てくれました。
また、お世話になった方々と最後の握手を交わすと、少し名残惜しを感じました。
帰りの船には、 今度は日本語修得者のためのロシア人研修生も乗船しました。

出港の準備が整うと、船は少しずつ桟橋を離れて動き出します。
甲板から身を乗り出すと、彼らは姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていました。

色丹島をあとにし、船は国後島古釜布沖を目指し明日の出域手続きに備えます。 

出港をむかえるえとぴりか

色丹島を後にするえとぴりか

穴澗湾1

色丹島穴澗湾

8月10日(月曜日) 

朝6時に朝食をすませ、9時にロシア担当官が船に乗り込み、出域手続きが行われました。 
10時過ぎ、予定より若干遅れて、根室に向け出港します。
船内では、解団式を行い13時20分、無事根室港に到着しました。
この日の根室は大雨で、下船後急ぎバスに乗って、記者会見を行う「千島会館」に移動し、解散となり、これで今回の北方四島交流訪問事業の全てが終了しました。

 

最後に

今回、北方四島交流訪問事業に参加して、色丹島の状況を見ることができ、大変貴重な経験をさせていただきました。
訪問するまでは、北方領土問題は単なる知識として、資料や地図で確認する程度の知識でしかありませんでしたが、実際に北方四島を訪問してみると、そこには現実の問題があります。
日本固有の領土なのにロシア側による入域・出域の手続き、ルーブルへの換金、ロシアの街並、その中に日本人の墓地もあり、日本の人道支援で建設されたプレハブ校舎等がありました。
北方四島には現在のロシアと現在の日本、そして過去の日本が同居していることを感じました。
今回の訪問では北方領土問題を知識としてではなく、実体験として感じ、考えるよい機会でした。
領土問題は政府レベルで解決すべき問題です。
私たちにできることは、その基礎固めとなる住民交流であり、友好・交流の積み重ねと隣人としての相互信頼関係の構築であると感じました。

(松本 広報主任官)

 

お問い合わせ先

総務企画部企画課
ダイヤルイン:050-3160-6271

森林管理局の案内

リンク集